林英樹の演劇手帖 TOP


クロアチアでのワークショップ他
1998年7−8月

クロアチアから招聘され林式身体訓練によるワークショップを実施する。

成田―(飛行機)→ペナン(マレーシア)―(飛行機)→クアラルンプール ―(飛行機)-→フランクフルト(ドイツ)―(列車)→パリ―(列車)→ アビニヨン―(列車)→マルセイユ―(飛行機)→ミラノ―(飛行機)→ト リエステ(イタリア)―(車)→プーラ(クロアチア)―(船)→ベネチア ―(飛行機)→チューリヒ―(飛行機)→ロンドン―(飛行機)→クアラル ンプール―(飛行機)→成田

一ヶ月間の旅程、メーンの予定はクロアチアでのワークショップ。現地フェ スティバルオルガザナイザーからの招聘による。が、クロアチア滞在中の宿 泊費とヨーロッパ内からクロアチアまでの交通費と若干のギャラ(若干、だ が彼らにとっては一か月分の給料くらいの価値がある)はカバーされるが、 日本からヨーロッパ間の移動費は出ない。クロアチアだし、ついこの間まで 内戦していたところだから、まあ仕方ないや、と自己負担で行くことにし た。で、幾つかの国で用事もこなし、遊びも入れて、旅程をオルガナイズ。 南回りついでにマレーシアで友人のアジア現代演劇研究者クレシェン・ジッ ト氏を訪問する。

1998年7月24日(金)

クロアチアでのワークショップの前に一仕事。来年予定している文化庁在外 研修先としてフランスを考えているため、ITIフランスセンター会長のピ エール・サンチニに間に入ってもらい、太陽劇団を受け入れ先に頼むため (以前会った際にすでに間をつないでもらうことを依頼、その後FAXで幾 度か頼んでいるが話を進めているのかいないのかはっきりせず、直接つかま えて談判することに)アビニヨンに立ち寄ることにした。この時期、アビニ ヨン演劇祭で舞台をやっているとのことで、たぶんその準備で頭が一杯でこ ちらの依頼もどこかに吹き飛んでいたのだろう。

クロアチアの招聘は、ヨーロッパ内の交通費は先方持ち。だいたいこれがヨ ーロッパでは一般的。というのもこういう時・・・外国から招聘されて文化 関係の仕事で出かける際・・・はどこの国でも旅費が出るのが当たり前。出 ないのは先進国では日本国が代表選手、でして。そのため、格安ビンボー旅 行と相成るいつものパターン。相手が貧困(平均給料のレートが日本の1, 2割程度とか。かと言って生活が本当に貧しいわけでもないし、精神的には 日本よりずっと上だったりして)な場合が多いからして、こんな感じにな る。でも、こういう旅も結構面白いし。。。。従って金持ってるOLの一週 間旅行とは違うんだよな、旅の仕方が。

10:20AM成田発―クアラルンプール着、ペナン島に一度降りてからクア ラルンプールへ。出発前に成田から宮城聡へ留守電入れる。BESETOシ ンポジウムに関して。クアラルンプール着後、空港からフランスITIセン ターに電話する。

7月25日(土)

朝フランクフルト着。空港で警官から尋問を受ける。どうも私の姿格好は一 般の日本人男性と違うからか、よく引っかかる。一般というのは、欧米人か ら見た日本人の一般イメージのことなのだが。。。駅前のカフェで時間をつ ぶす。そしてフランクフルトから列車でパリへ入る。

パリ、北駅前で宿をさがす。4,5件まわり決める。北駅前にいい感じのホ テル見つかる。パリはこの駅周辺が列車移動するには、最適の位置にある。 パリに二泊し、街歩きを楽しむ。サンジェルマンあたりで映画を何本か見る 予定。パリで一番好きな街。

7月27日(月)

TGVでアビニヨンへ移動。駅から少し距離のある「IBIS SUD(南)」ホテル にタクシーで(20分くらいかかる)行く。

6am:ITIフランスセンターの会長でもあるピエール・サンチニの芝居 『CAPITANE BRINGUER』(Theatre la Luna)見る。観劇後、劇場下のカフ ェへ。文化庁の研修の受け入れ先に関する依頼をする。それが目的で立ち寄 ったのだし。しかし、彼は「パリに戻ったら、また会いに来てくれ」という ので、いやそんなにここでのんびりしてられない、これからクロアチアにワ ークショップをしに行かなきゃならないので、ここで何とか出来ないか」、 と無理を言うが、そういう動き方は向こうの連中は出来んわけも承知。「わ かった、何とか連絡をつけてみよう。後で、パリに電話してくれ」とのこと だったが、あとで電話をしたら、彼は公演後、しばらく休み(バカンス)を どこかで楽しんでる、とのことで、留守先では連絡が取れない、と。さすが 公演後はしばらくバカンス、とはフランスの演劇人は優雅!そうでなくち ゃ。しかしなあ、こっちのことはすっかり忘れてるんだろうなあ。だけどこ れが初めての申し出ではなく、以前会った時に話をし、その後、FAXでも 何度かお願いの手紙を送ってるのだよ。。。なんせラテンの血が入っている から、何かと頼み事はあてにならないのがフランス人、ってわけか。(結 局、あてにならないサンチニは諦めて、第二候補のオランダ国立芸術学校、 フランス・エヴァースに依頼して、そこに行くことに決める。人生、どう転 ぶかわからないよなあ))

まあ、それはともあれ、サンチニはフランスでは有名らしい。カフェの客た ちも彼を見て挨拶をしたり。テレビの仕事も頻繁にしているせいだろうか。 舞台も彼の味がよく出ていた。

7月28日(火)

11am、『広島、我が愛』(Theatre des Halles)見る。アビニヨン演劇 祭、は街中が劇場化、どこにもかしこにも劇場がある(普段は別のことに使 用されているスペースが大半)。そして午前11時から芝居が見られる。効 率よくまわると、一日5〜6本の舞台が見られることに。いやいや芝居付け の演劇祭、期間中のアビニヨンの町、演劇一色。そして演劇ファンではな く、観光地でもある当地、一般の観客がここに来て、時間がたっぷりあるか ら自然と劇場に足を運ぶ。暇つぶしには持って来い。こうして演劇はバカン ス最中の人々のゆったりした心の中に入り込んでくるという仕組みだ。

7月29日(水)

『無垢舞踏劇場』(台湾)見る。今年は台湾特集のようだ。 旧法王庁の建 物の中庭を使用する。それが雰囲気がありすぎるだけにすごいものを見たよ うな気がしてくる。フランス人の好きそうな「オリエンタル」な舞台であっ た。私には、何だかこういうアジア趣味は受け入れがたい感じ。「アジア」 をこういう風に、西欧人の「オリエンタル趣味」をそのまま逆輸入したって 感じの地の舞台、には反発する、しかないでしょ。いまどき、そういう懐古 趣味やって、どおする、とか思ったり。まあ、伝統文化を基盤に、というの はわかるが、そのままそれを売り物にするのも芸がない。現代に生きている 自分として、すでにグローバル化した近代(西欧のフレーム)の中に侵食さ れた自分が、どうあるかを問えよ、とか思うが、こっちのほうがわかりやす いし(「ああ、アジアの舞台らしい」とかって西欧人には受けるのよね、こ の手のものは)、だからいやなんだなあ。

7月30日(木)

アビニヨンの「IBIS,SUD」ホテル8時にチェエックアウト。TGV でマルセイユへ。マルセイユ駅からタクシ−で空港に。距離がある。タクシ −代が200F(約5000円)、痛い。たぶんリムジンバスがあったのだ ろう。調べて来るべきだった。
空港に着くと、カウンタ−でトラブル発生。事前のクロアチアとのやり取り で、彼らの粗さに何かあると予想していたが案の定。予約はされているが、 まだ払い込みがないので、飛行機のチケットは渡せないと。主催者があらか じめ航空券を手配し、時間的に間に合わないので券は空港あずかり、こちら は予約番号を言ってカウンターで航空券を発券してもらう手はずだったが、 いままさに飛行機が飛ぼうという時に、先方から送られてきた予約番号が無 効、だなんて、そりゃあないでしょ。急ぎ、クロアチアのフェスティバル主 催者(彼らの企画でワークショップをやりに行くのが今回の旅の第一の目 的)に空港から連絡を取り、何とかぎりぎりでクリア−。まった く・・・・・・・、こういう段取りの不始末は年中行事、その点では日本人 はぬかりがない。まあ、トラブルがしょっちゅうってのも人間的で面白いの だが。

飛行機は何と小型のプロッペラ機!!で、マルセイユからミラノまでぶっ飛 ぶ。すごい、エンジン音、そしてがたがたと揺れること、スリル満点。乗っ ているのは4、5人・・・(20人乗りくらいのフォッカー)。ミラノでト リエステ行きに乗り換え。トリエステで、イストリア国立劇場のスタッフの サ−シャが出迎える(17時40分着)。トリエステ空港から車でプ−ラに 移動。イタリア、スロベニアと二つの国境を越える。アドリア海沿いに旧ユ ーゴスラビアの海岸を南下、ひたすら断崖絶壁のくねくね道を走り抜け、2 0時半にホテル着。一級国道、基幹道路らしいが、何せ社会主義時代に作ら れた道。現在の欧米や日本の車の性能対応じゃなく、旧社会主義時代のおも ちゃみたいな車が走って用を足した道。それも一般人は車なんて殆ど所有し ていない時代の道でトラクターとかが走ってたり。すごいです。昔の日本の 田舎道もこんなものだったのでしょう。しかーし、自由化して今や欧米人観 光客がハイテクな欧米車でわんさか乗り付けるものだからが、毎日どこかで 必ず死人(死亡事故)なんですって。生きてて良かったね、の世界が、ここ 東欧、旧ユーゴスラビアには確かにある。生きてて良かった。。。。

で、着いたのが、「ベル−デイア」という海岸にあるパルマホテル。ホテル はなかなかよろしい感じ、4つ星。しかし、部屋にク−ラ−もテレビもな い。4つ星で。旧社会主義時代のホテルだからこんなものなのだろう。しか も次の日、ブリオ−ニに移される。ここも4つ星なのに部屋は汚く、暑く、 深夜までうるさく最悪であった。

7月31日(金)

さて、いよいよクロアチアでのワークショップを始める。この企画は、そも そも1997年に韓国ソウルで開催されたITI世界大会で、クロアチア代 表団のダルコ・ルキッチから依頼され、引き受けたもの。若者を対象とした フェスティバルで、公演だけでなく、世界各国から専門家を呼んでのワーク ショップも目玉企画。で、日本から私を招聘したわけだ。


クロアチアワ−クショップ7月31日−8月8日、クロアチア、プーラ市。
会場:イストリア国立劇場、3Fギャラリ−(4日、6日は劇場舞台)。
会期:7月31日−8月3日(後に、6日まで延期)、



参加者
アレクサンダ−・バンチッチ(イストリア国立劇場、演出助手)、
アレクサンダ−・ルカッチ
マリアナ
ワ−ニャ(日本語の勉強をベネチア大学でしている。琳派の絵画が好きと か)
ティハナ
マルコ(ベネチア大学で建築を勉強、建築と身体に興味)
マ−クス(音楽、音楽と身体に興味)
ベルマ(サラエボから参加、ドラマ・アカデミ−卒業)
エニス(サラエボから参加、俳優)
ステラ(イタリア系、精神の病気をしたとか、演劇療法中)
オリアナ(ダンスをし、子供対象の劇などをやっている)
ロミ−ナ(サラエボ演劇アカデミーで女優修行中)
ヘレナ
アイシードゥ(トルコ、イスタンブールから)
タチアナ
サンドラ
イワナ
などなど23人位参加する。


2時にタチアナがピック・アップにホテルまで来る。クロアチア出身だが、 いまは結婚して夫とオ−ストラリアに。このフェスティバルのときだけ、手 伝いでこちらに滞在、とか。

ワークショップ1日目、14時−17時
初めに
参加者から名前と国籍、仕事(俳優、学生、劇団員)の紹介をしてもらう。

1、すり足、歌舞伎、歩行。
2、イメ−ジと言葉。二組に分けて。彼らの表現力はかなり豊か。抽象表 現、リアルな表現、クラッシク・コンサ−トに見せた、シニカルな表現、愛 嬌のある表現、チャ−ミングな表現など、多様性を持っている。

3、空間構成A、B

興味のなさそうなのが3、4人すぐにいなくなり、2日目からすっきり。
たぶん一日目の練習がきつかったのだろう。ひたすらハ−ドにやる。エネル ギ−を使えと繰り返し言い、また使わせる。それに満足している者の方が多 いし、きつい方が結果として喜ばれた。遅刻も厳禁にし、暑いので全体的に 士気をたかめる工夫をする。礼も行う。ケジメをつけるため、これも効い た。意味もちゃんと伝える(ことが重要)。テクニックの表面的なコピ−に 意味はない、コンセプト、形式を生み出した基本哲学の理解が、そのアダプ テ−ション、応用を可能にする、と強調。自分の方法に適用しろ、と言う。

8月1日(土)

9時−1時、二日目
9時ジャストから始めることにした。遅れて来た者は、こちらが呼ぶまで待 たせる。日本方式を伝える。受講者のマナ−について述べる。明日は正座を させよう。最後に、日本式に正座での礼をする。
・・・内容だけでなく、こういうことが重要なのだと思う。かれらの意識が 切り替わる。

内容、すり足、つづいて丹田集中。腰・・・押し合い、再びすり足、歌舞伎 歩行。次にファリファリをやろうとするが、そのパ−ツだけをやる。明日や る。今日は昨日の続きで、空間構成から声。声を通じたエネルギ−交換。最 初に声を聞いて、人選する。4人、これは20分続いたがなかなか良かっ た。サラエボのベルマもよかった。マリアナ、アレクサンダ−、若い 子、・・・。

8月2日(日)

9時−13時
すり足、丹田強化(押し合い)、勧進帳テキスト配付。やってみる。その 後、ファリファリひたすらやる。何かみな気に入ったみたい。参加者、やる 気満々、ポジティブ。

8月4日(火)

10時−13時、劇場


勧進帳
二人一組、「なんと、なんと」で押し合い。
二人一組、動き
「すばらしいわ」、4人一組ずつ

ファリファリ
コンビネ−ション(空間構成Cと単独参入)

ビデオコピ−変換が出来て、モニタ−も用意されたが、ケ−ブルがないとの ことで、明日に。終了後、デイアナと話す。サラエボのベルマは今日帰る。 来年かさ来年、サラエボに行きたいと伝える。その後、ボリオ−ニからリビ エラへホテル移動。海辺から市内へ。

アレクサンダ−、エニス、ヘレナと話す(16時)
22時、旧軍隊関連施設の建物で、その後難民の住居、いまは空き家の巨大 なビルデング(劇場から10分)へ行く。ヘレナから聞いたアマチュアのオ ルタナティブ・シアタ−を見る。「記憶」という内容だそうで、戦争の記憶 に根ざした無言劇。

その後、ディアナ(16歳)に、娘の彼氏が日本人(娘はイタリアで絵画の 勉強、そこで知り合う、日本の京都へ行って魅了されたという)という中年 女性のカフェに連れていかれる。4人で歓談。街のアーチストたちの溜まり 場になっているカフェ。

8月5日(水)

10時−13時
ワ−クショップ(3階)勧進帳、ビデオをやっと見る。
マルコ、ティハナ(ロビ−ナから来ている子)と昼食を取る。明日、彼らの 劇団の稽古に行く。21時−古代ローマ時代に建てられた巨大なコロセニア ムで『レクイエム』コンサ−トを見る。

8月6日(木)

10時−11時40分
ワ−クショップ 手順の確認。

12時−13時30分
劇場でプレゼンテ−ション(発表)。

14時−15時半
参加者(アレクサンダ−、エニス、ティハナ、ステラ、マリアナ他)ととも に昼食。その後、カフェで歓談。

18時、マルコ、ティハナとロビンへ。人口1万4千人とか。島で出来てい て、18世紀に大陸とつながった。彼らの団体名はBLOC,芸術、文化 を、これを無視する政府、人々から守る、という趣旨の団体で、演劇の他、 たくさんの美術家などで構成。マルコはベネチア大学で建築を学んだ。安 藤、高松など、日本の建築デザイナ−に詳しい。

彼らと待ちをまわりギャラリ−に入る。ここにはたくさんのギャラリ−があ り、沢山の美術家が活動しているという。翌早朝まで彼らと遊ぶ、はしゃ ぐ。

8月7日(金)

朝4時にロビンからホテルに朝帰り。

10時、シティ・ホ−ルで市長による歓迎レセプション。ITIクロアチア センター主催によるイベントがこのフェスティバルの中に組み込まれ、会長 のキムさんが韓国から、事務局長のペリネッティがパリからやってくる。遅 れて行くと丁度キムさんの挨拶。

ダルコから、昨日のプレゼンテ−ションに関して、参加者のアンケ−トの評 価がよかったのだろう、皆満足している、来年も良かったら来い、と言われ る。2週間のワ−クショップで『デズデモ−ナ』を作り、ロ−マ式劇場で上 演、というのを提案してみようと思う。作品を作る方が面白い。オセロ−は ベネチア国の物語でプ−ラに関係もあるし。時期は7月中旬から(7月16 日−7月31日、発表8月1日とか)。メンバ−はアレクサンダ−が演出助 手、プロデュ−スは国立劇場、・・・これはロンドンでイエロ−シアタ−と 共同で2000年にもやってみたい、と考えている。『デズデモ−ナ』はイ ギリスとゆかりもあるし、音楽、シノプシスもある。あとは役者の演技力を ファリファリで構築するのみ。ワ−クショップ形態で作品作りをする。オセ ロ−は「モノ」から化ける。言語は現地語と日本語のミックス。日本語部分 は必ず現地語にして、観客に配付する。

オランダでもこれは出来る。


夜、21時から劇場近くの小さな公園(音楽学校近くとのこと)でブランコ 演出の『シ−ザ−』を見る。どうシェイクスピアテクストを解体したかわか らないが、演出が酷い。音楽の趣味も悪い。とにかく粗い。

だが、後でドイツからのマンフレッドに聞くと、彼は面白かった、と言う。 言葉は分からなかったが、上演の後、クロアチアの子に聞いて少し上演の背 景が理解できたようだ。言葉はボスニア語(クロアチア語と近いそうだ)、 スロベニア語、クロアチア語、俳優も三カ国。芝居は、3つのテキストから 構成。初めは何かレイプ、セクシャルハラスメントを受けた女性の話(クロ アチアの作家のテキストか)、そしてジュリアス・シ−ザ−、さらにオペラ のシ−ザ−。

8月8日(土)

モトバンへ批評家会議のメンバーと行く。平地の中に突然、砦のような岩 山。その上に砦のような建物、そこで若者たちが合宿スタイルで参加して、 劇というかパフォーマンスを作った。それを見る。残念ながら理解できな い。よくあること。全てが理解できるわけはない。ここは外国だし、つい最 近まで内戦をやっていた国だし、その前は社会主義だし。


8月9日(日)
9−19時、Bijuni まで船でのんびり周遊。ITIメンバー接待用に主催 者が用意してくれたもの。

21時−ユリシーズ・カーニバル。街中を使ったイベント、みなが仮想して 練り歩く。かつてはベネチア国の領土だったから、カーニバル、仮面の伝統 はそれなりに根付いているのか。そのずうっと前はローマ帝国領土でローマ 式の遺跡(劇場、門、円形闘技場)があり、さらに前にはギリシアの植民都 市だったから、その遺跡(ギリシア式劇場)も残ってる。3000年の都市 都市としての歴史を持つプーラ。この土地をギリシア、ローマ、ベネチア、 イタリア、ナチスドイツ、ユーゴスラビア、と通り過ぎて、今はクロアチア という国の一部になった、大陸とはこうしたものだ。一つの町に幾層にも幾 つもの文明がミックスされて現在がある。

8月10日(月)

プーラ−ベニスへ移動

プ−ラを朝7時50分に大型フェリーで出航。ベニスに12時頃着。フェリ ーは外見は現代的だが、中は"監獄"。クロアチアはどこもこの感じで、まさ に"監獄"。社会主義時代の悪い一面がまだ残っている。

ベニスの町を歩く。車が町を走っていないのに驚く。全て、舟。まさに水の 都だ。あるいはみやげ物屋ばかりで"軽井沢"状態。町に住んでいる人はどう しているのだろう。ワ−ニャはここで暮らし、勉強しているのかと思うと不 思議だった。全てが"ノスタルジック"な町だ。

舟の中で、イアン・ヘルバ−トからもらった、クリテック・レコ−ドを読 む。スチ−ブン・バ−コフの舞台が酷評?ジャ−ナリズム、批評は極めて保 守的で、大人的。この息ぐるしさが、ロンドンの劇場から"若者"と"外国"を 追い払っているのか。

8月11日(火)

朝ホテルを7時30分に出る。すぐ近くの公営ボ−ト乗り場から、二つ目の ロ−マ広場まで移動。荷物が重くなっているので、移動は大変、タクシ−と いう表示が駅にあったので、タクシ−で空港まで行こうと思ったら、それは 何と舟のタクシ−だった。

ベニスからスイス航空の50人乗り位のなんとか2000型機(プロペラ、 クロス航空)というのでスイスのチュ−リッヒに飛ぶ。下界は山、山、山、 まさにアルプス百万尺の世界。チュ−リッヒで乗換え時間が20分しかなく あわてる。がロンドン行きが結局30分遅れて、待たされた。ロンドン行き の飛行機はさすがに大きい。

ロンドンに着き、文明社会に戻った感じ(クロアチアに比べて)、ほっとす る。ホテル(リ−ジェント・パレス。ピカデリ−・サ−カス駅前)もまあま あ。なにより水がそのまま飲める。プ−ラのホテルは4つ星なのに部屋には 何にも付いていない、冷たいドリンクを飲むのに、一回一回レストランへ、 あるいは遠くの店まで行かないとならないのに参っていたので(部屋も外も 暑く、涼めないので、冷たい飲み物が唯一の憩いなのに)、ああ、やっぱり 文明はいい、と思う。がクロアチアの過去の戦争のことを思うと、そういう ことを思う自分にうしろめたくもあり。しかし、だけどさ、やはり、かなわ ないよ。

ロンドンはプ−ラよりはるかに涼しい。夜は寒かった。半袖ではがまんでき ないほど。

事前連絡をつけていたベスと西原さんからホテルにメッセ−ジ。さっそく電 話。明後日ベスと12時にロイヤル・フェスティバル・ホ−ルで待ち合わ せ。ロンドンに来たのは、来年の文化庁派遣のロンドン受け入れ先に関して の相談をベスにするのが目的。で、ついでに芝居を見てまわることに。

今日の夜、シャッフルベリ−劇場で『レント』を見る。劇場はオペラ劇場ス タイル。こんな劇場が町中にあると思うと、改めて大英帝国の凄さを感じ る。まさに"演劇の都"だ。

来年、一年間文化庁の派遣を受けるなら、やはりまずロンドンからか。クロ アチアとの共同製作舞台をロンドンのシアタ−・スアジオで上演するという ことも考えられよう。

8月12日(水)

西原さん、お勧めの『RENT』を見てくる。音楽がアップ・トゥ・デイト で、いまだ1940年代状態のミュ−ジカル、作家の友人たちは音楽を愛し ていても、ミュ−ジカルを愛していない、そういう人達を劇場に連れてきた い、という思いで作られたミュ−ジカル。現代のニュ−ヨ−クの住む何かを したいと思っている若者を舞台に登場させた試み、だそうだ。音楽の趣味は 悪くない。変にいまに媚びず、ミュ−ジカルとしての伝統を持ちつつ、若々 しさを表現していて音楽家の才能を窺わせる。が、彼は1996年にエイズ で亡くなったそうだ。享年36歳とか。様々なミュ−ジカルの賞を受賞して いるのが、何とも不思議。批評家たちが簡単に、こうした新しい試みに媚び るものだろうか。それとも本当に才能があるのか。

8月13日(木)

ロンドンで若者に人気、話題作というので、どんなものかと『CLOSE R』を見る。シンプルな舞台。しかし、退屈して途中で出る。興味を持った のは、これがいま、斬新だと言うロンドンの演劇事情。若い観客を取り組ん でいる、というが、逆に言うと、いかにロンドンの芝居がオ−ルドか、と言 うことを物語っている。

8月14日(金)

12時、ロイヤル・フェスティバル・ホ−ルでベスと会う。西原さん、それ から後にベスの産休の間の代わりを勤めているなんとかさん。

夜、ハマ−スミスのリバ−・サイドスタジオへ、黒人の『リチャ−ド3世』 を見に行く。と思いきや、ちょっと内容が違ってた。話はアメリカ、ニュ− ヨ−ク1820年代、奴隷開放されたあとに出来た最初の黒人の行ったシェ イクスピア上演にまつまる話。(何故、シェイクスピアを彼らが上演しなき ゃならないんだ?)


夜中の2時、ホテルの火災警報がなる。何か、慌てている様子が、他の客に ないので、一体何かと思ったが、一応、部屋の外に出ることにした。ホテル の従業員が、階段の所で何でもないと、客に伝えていた。表に出てみると、 消防車が何台か駆けつけていた。野次馬のひとだかりも。それにしてもまる で歌舞伎町状態。土曜だからか。まるで昼のような人

8月15日(土)

『オペラ座の怪人』を見ようと思って劇場をしばし捜し回る。やっとたどり 着くと券がない。リタ−ン・チケットを求める人が列を作り、ダフ屋がい る。そうか、観光客に人気があるのだ、これは。昨日までは観光客が集まる ようなものを見にいったわけじゃないので、かんたんにチケットが手に入っ たが、こちらはそうは問屋がおろさない。

ロンドンは4日間滞在したが、それでもなんか疲れる。パリと違う。何故だ ろう。ごつごつした感じ。西原さんは、パリに行くと、いつも服装まで気に しないと行けないようで、疲れそう、ということだったが。パリが「貴婦 人」なら、ロンドンは田舎から出てきたエルビスか。芝居に関しても、保守 性が強く、その壁を破って、「現代感覚」を取り入れて人気の『クロ−サ −』にしても、何だか時代遅れのことやっている、って感じ。全てがダサ イ、アングロ・サクソンは。あまり好きになれない連中。直接、ものをはっ きり言わない、何を求めているのかわからない曖昧さがあって、はっきりし てよ、というときがあるとはロンドン在住西原さんの言葉。シャイなのか。 しかし、やはりダサイ男なんでしょう。人のことをああだこうだ言っても、 自分がやった「侵略」は全く反省なし。食えない男、というのがロンドン。 パリは繊細な女性性を持っている。これはアングロ・サクソンとラテンの民 族的な気質の違い、から来るのだろう。

8月15日夜。ロンドン・ヒ−スロ−空港

ピカデリ−・サ−カスから地下鉄で空港へ。約1時間、直通。6時半にホテ ルを出る。空港に着くと、マレ−シア航空カウンタ−は長蛇の列。結局1時 間近くかかって発券。ゲ−トに入ってから、パスポ−ト・コントロ−ル。マ レ−シアラインは不法入国者が多いのだろうか。とにかく他の航空会社のよ うにスム−ズに行かない。早めに空港に来る必要があった。そいれにしても マレ−シアにはいろんな人種がいることがこの長蛇の列の人々を眺めるだけ でもわかる。日本人もいるがわずかだ。あとは欧米人とマレ−シア、アジア 系。

飛行機の中。担当のスチュワ−デスは整形失敗型。中国系も4分の1入って いるのか、インド系ではない。マレ−系なのか。なにか無愛想で作り笑顔が しらじらしい。席にはスカ−フを巻いたイスラム系の女性もたくさん。

13時間後、クアラ・ルンプ−ル着。機を降りてからバゲ−ジを取るまで、 歩くこと大変。分不相応、でっかな空港を作ったはいいが不便この上ない。 両替をしようと思うが、荷物をかついで一階上のフロア−へ。インフォメイ ションに聴くとレベル3に行け、というからなんのことかと思う。国際空港 でロ−カルな言葉を使うでない。


ホテル(ホリデイ・イン)に着いたのは8時。チェック・イン後、クリシェ ン・ジットにTELを試みるが、うまく繋がらない。外に出て、野天のレス トランへ。魚、ジュ−ス、ライス、たっぷり食べてで11、5マレ−ドル (400円)とは素敵!でも、お腹の強い人じゃないと、あとが大変か も。。。

8月17日(月)

さっそくクアラ・ルンプ−ルの町を歩く。あついい・・。これじゃあ、人々 は働く気になれない。が、大きなショッピング店があちこちにあり、人々を 飲み込むためかク−ラ−がばんなに効いている。これはクロアチアにはなか った。あそこはひたすら暑く、人々はひたすら我慢していた。クアラルンプ ールは近代的な建物がたくさん建っているが、人々はどうも垢抜けない。し っかりアジアの混沌状態。道を渡るのも命懸け。変な町だ。空港で、ムスリ ムが全身シャネルマーク入りの伝統衣装を纏っていたのが、一番この町を象 徴している。ベンツがたくさんいせいよく町を走る。が、道端はまったく途 上国。へんなちゃんぽん。バブルの最中、の日本みたい。

幾度かこころみたあとやっとクリシェン・ジット氏に連絡がつく。それにし ても最初にタクシ−で行ったモスクすぐそばの暑さからのがれるために入っ た変な建物(中は汚いのに外観はモダン、それで禁煙)の一階がスタジオと 小さな劇場。ドラマ・アカデミ−のオフイスで見つけた、アクテング・クラ スのちらしにクリシェン・ジットの名前をみつけ、連絡先を確認する。

一日歩いたが、面白みのない町、というのがクアラ・ルンプ−ルの印象。疲 れる町。そして暑い。湿気が強くてうっとうしい。まさにアジアだ。こんな ところに用事が無いかぎりくるものではない。昨日の夜店の食事があたった のか、さっそく下痢症状も出てくる。嘔吐感がして、こちらの食事の味も匂 いも胃は受け付けなくなっている。


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