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ペルー・ブラジル公演制作記


首都リマ近郊にあるインカの遺跡。
侵略と略奪の記憶は今も人々を分断する・・・。

おりしもぺルーの首都リマで起きた日本大使館占拠人質事件
と重なったテラ・アーツ・ファクトリーの現地公演。
お世話になった方、楽屋まで応援に来てくれた日本大使
などなど多くの知人が人質になった。。。。。


ペルー公演をオルガナイズしたリマ・カトリック大学演劇学校にて学生たちと



日本からの公演組とペルー公演主催者たちとで一緒に食事会


上演会場、リマ市立劇場。ペルーが海産国として豊かだった20世紀初頭
(豊かなペルーをめざして大勢の移民が特に沖縄からこの地へ渡ってきた。
豊かといってもスペイン系/白人階級の話だが)に建てられたもの。
スタッフによるとかなりな(贅を尽くした)劇場だとのこと。



公演に先立ち、ペルーとブラジルを訪問し、
制作、舞台監督的な打ち合わせを行う。
演出だけでなく、海外公演では
制作と舞台監督補佐、通訳もする(せざるを得ない)。
以下はその模様。


南米日程ペル−(下見、制作打ち合わせ)
1996年9月28日(土)

4:45AM着。
ジェルリ(演劇学校の管理監督)とマリアの弟が車で空港に迎えに来てくれ る。
3PM:市内をジェルリに案内されて歩く。

7PM:演劇学校のスタジオで学生(3年生)の芝居を見る。ジェニ−とい う名の殆どヌ−ドに近い恰好をした女の子が代わる代わる5人出てくる、少 し趣味の悪いエロスをテ−マとした芝居。
 
9PM:観劇後、ジャ−ナリストと飲食。


*マリア:カトリック大学演劇学校の責任者で演技教師
*ジェルリ:演劇学校の管理監督

9月29日(日) 
   
マリアの弟の運転で、ジェルリとともに、リマ郊外のマチュピチュ遺跡に連 れて行かれる。

するべきことを早く済ませないと、というあせりがあるが、なにせマリアが 車でリマから8時間の村に行っているとのことで彼女が帰ってくるまでどう にもならず、のんびりしたジェルリとともに、「テイク・イット・イージー (気軽に行こう、ジェルリの口癖)」の気持ちで時を過ごす。それにしても 2時といっても3時に来るジェルリは典型的な南米の人間で、のんきでいい 加減な感じだ。大丈夫かよ、ったく。

7PM:リマに帰ってきたマリア・リサとピントにやっと会える。


*ピント:カトリック大学演劇学校教師、演出家

9月30日(月)
11AM:ホテルでマリアと待ち合わせ。彼女は時間通りに来た。一度も時 間を守ったことのないジェルリと違い、しっかりしている感じでほっとす る。こういうところに来ると、自分はつくづく日本人(時間厳守、段取りき ちんとする、式の)なんだ、と感じる。(*まあ、徐々にそれも海外での経 験で変えられ、ハラが据わってくるのだが)


11:30PM:マリアと新聞社「EL・SOL」に行く。厳重な警戒体制 で、パスポ−トから荷物までチェックを受けて、中に入る。テロが頻発して いたため、今もこうした厳重警戒をしているそうだ。そこで、通訳のりつこ さんと合流。彼女はブラジルで生まれた二世で大阪大学に4年間留学し、近 松を研究したとのこと。結婚し、夫の仕事の関係でペルーに移住したそう だ。ポルトガル語が母国語なので、スペイン語は多少発音がペル−人と違う らしい。日本語も流暢だが、やはりネイティブの日本人のようには行かな い。しかし、見識が深くまた頭が切れる、かつ日本文化に対してたぶん普通 の日本人以上に造詣が深い。
新聞に記事と写真が掲載予定。(今週木曜日)

1:00PM カトリック大学本部に着く。東洋文化学部に行く。

1:30PM ITIのビオレッタと会長のガレッタ氏と会食。

4:30PM ブラジルビザのため、病院に行き、黄熱病の注射を打つ。

5:00PM 演劇学校にジャ−ナリスト6名集まり、インタビュ−と質 問。持参した写真が少なすぎた。

マリアと打合せ
ワ−クショップについて、実施したいが、公演最中や、仕込みの時は集中で きない。早めに来る努力をする。

ポスタ−制作について、制作には約2000ドルかかるそうだ。それは先方 が経費を出すとのこと。ポスタ−用の写真を渡す。

このように本人が直接(海外に)来て、事前に直接インタビューを受けた り、会見をするのが宣伝広報にとって効果的であることを改めて知る。資料 のコピ−だけをただ送っても弱いが、直接本人が話すと、相手も納得するよ うだ。

                                         
ブラジル大使館の住所が変更していて、コンタクトがつかない。マリアに調 べてもらう。公衆電話からの電話のかけ方がわからない。ホテルからMCI (アメリカの電話会社の専用カード)は使用できない。学校の電話もだめ。 ブラジルに留守番メッセ−ジを入れておく。

10月1日(火)
11AM ブラジル大使館、ビザ申請。

1:30PM 市立劇場、打合せ、照明監督MOSCOSO氏。

3:30PM ペル−日系人協会、神内先駆者センタ−部長小波津エレナさ ん、通訳。

打合せ内容 食事、昼と夜は弁当にしてもらうことに。ペールー滞在日、1 1月27日、28日、29、30、12月1日。 
                                        
照明、照明バトン3台、下ろせる。上に登れる。美術バトンは多数、全て手 動。
ディマ−は32CH。
音響はカッセト2台あり。ミキサ−あり。
舞台は黒のシ−トを市立バレエ団から借りてもらい使用する。
そで幕は黒、幅は変えられる。

4:30PM ブラジル大使館、ビザ取得。

6PM ホスタル・サン・マルタン。
11月26日から12月1日まで6泊10名、10室予約する。25ドルに 割り引いてもらう。また東京都文化財団への提出のためのレシ−トについ て、事情を説明し、作成依頼をする。

10月2日(水)

9:00AM、ボリバ−ル・ホテルをチェックアウト、
空港にて、キャンセル待ち。

ヴァリグ・エア−ライン12:05発サンパウロ行き、出発の30分前によ うやく席が取れる。

7:45PM(リマとの時差2時間+)サンパウロ着。

リマ、ETUCにTEL。マリア、ジェルリと話をする。


まあ、とにかくブラジルだ。やっと文明のあるところに来た感じで、空港の マクドナルドでほっとする。パウロにTELし、ここで待ち合わせ。第2タ −ミナルの2階にある。         

10月3日(木)

今日は休日で選挙の日(市長選挙)ということで、どこも閉まっており、全 く動きが取れない。

2時:ホテルでマルシオ、パウロと待ち合わせ。
結局、交通事情のせいで、4時の到着。市内見学をするか、ということでマ ルシオの車で、巨大な文化会館、ア−チスティックなデザインの近代美術館 などをまわる。その後、モダンなカフェ・バ−で食事を取る。

9PM:SESC劇場にてアントニオ・フォアォロウ演出の『ドラキュラ』 をマルシオ、パウロとともに見る。彼は鈴木忠志と親しい。独裁者的演出家 として現地では有名。相通じるものがあるのか。 

10月4日(金)

11AM サンパウロの国際交流基金訪問挨拶。

SESCとはいつも一緒に仕事をしている、とても緊密な関係にあるとのこ と。また、スタッフワ−クは徹夜でもやる、ということで、南米の人間は働 かない、というイメ−ジとは全く異なり、SESCの仕事はしっかりしてい る、日本と変わらないのではないか、と国際交流基金所長の大谷氏は言って いた。

また、日系人がたくさんいるが、国際交流基金の仕事はその人達との交流が 目的ではなく、ブラジル人との交流が目的なので、特に日系人社会に対して アピ−ルするということは考えなくてよいのではないか、と言っていた。

広報についてはSESCはしっかり任せられるし、ネットワ−キングを持っ ているのでブラジルの新聞は彼らに任せればよい、日系新聞3誌について は、交流基金から遣ってくれるそうであるので、写真資料を送ってほしいと のこと。
 
1PM パウロ、ホテルにピックアップに来てくれる。一緒にマリア、通訳 として同行し、SESCに行く。テクニカルに関する打合せ。

5PM  マリアの家に行って、スケジュ−ル、メンバーの食事の手配はど うするか打ち合わせる。

東京都に申請する領収書について了解を得る。助成対象は、宿泊と荷物輸送 費とちらし作成費の3つに限定されているので、宿泊とちらしの領収書につ いて、依頼したい旨説明する。

あと、ライトの機種、入場料、パウロたちの経費はどうするか。またパウロ の立場は、など相談しあう。今回の企画は、TAFの主催であるが、サンパ ウロ公演の招聘者はカンピナス大学のマルシオ・アウレリオになっているこ とを説明。SESCは会場、その他の協力という形であることの確認。

SESCはスタッフ、機材など含めて、何でも協力し、そのコストも含めて 面倒を見てくれる。だから多少狭いが、他の劇場ではなく、SESCが良い のではないかと判断したとのこと。了承する。他の劇場だと、スタッフにし ても、機材にしても全て経費がかかる。SESCのように人材も整っていな い。
                                                                                                                                                                    
9PM:田中泯さんの公演『A Conquista do Mexico』をセルジオ・カルド ス劇場で見る。
彼がブラジル人200人の希望者の中からオ−デションし、選んだ14名の 俳優やダンサ−によって演ぜられる舞台で、アントナン・アルト−のテクス トにもとずき、スクリプトをかき、ワ−クショップスタイルで作り上げたそ うだ。一日に10時間も訓練をしたそうで3週間で仕上げたという。舞台は 泯氏も出演しているが、スペクタクルとしても面白く、またアルト−の世界 を彷彿させる内容で、演出の力を感じた。

はじめに、少年が客席の小さな舞台に。音がブ−ンをなる。そしてときどき 馬のひずめの音。次に舞台、特殊な衣裳、

終演後、楽屋を訪ねる。木幡さんがいて驚く。しばらく泯氏も交えて話をす る。初日で仕込みが大変だったしく、4日の予定で契約していたのに、突然 他の演目を入れられ、2日の仕込みになってしまったという。道具がいろい ろとあったので、大変だっただろうと思う。プロデューサーは現地人だそう だ。


11PM:パウロ、パピ−タ夫妻とともに、イタリア人街を歩く。ディス コ、ダンススポット、バー、レストラン、ライブスポットがひしめき、歩道 上にも沢山の人が、テ−ブルを囲んで飲食をしている。イタリア系が多いら しく、いかにもイタリアンの雰囲気、開放的だ。

そのあとレプリカ広場近くの、「レッドゾ−ン」をまわる。街頭に立つ娼婦 たち、ストリップ劇場、完全に女性にしか見えないゲイの"娼婦たち"が立つ エリア、ホモのカップル、ドラッガ−、などひしめき合っている。勿論日本 人一人では歩けないエリア。彼らと一緒なので歩ける、というわけ。とても 面白い。

そこのスタンドバ−で軽く腹ごしらえし、ホテルに戻ると一時過ぎであっ た。

10月5日(土)

マルシオの自宅に行く。                    

10月6日(日)

日本の菜穂、吉永にTEL、菜穂にはスケジュ−ル、13日にミ−テングの ことなど指示。

                                         
6PM・・マルシオ、パウロとミ−テング(ホテルで)。
『デズデモ−ナ』のビデオを見ながら。マルシオは非常に作品の主旨を深く 理解してくれた。特にコントラスト、第一部と第二部の変化の仕方、首締め のシ−ンのあと、「アザー」たちがクールにたんたんと舞台を動く様に感動 していた。また光とのコントラストなど全てに感動していた。冒頭の椅子の シ−ン、オセロ−が包囲されるところも好きだと言っていた。

8PM・・お洒落なイタリア風カフェでマルシオ、パウロとイタリア系のア ウグストと会食。


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