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欧州滞在記12月

工事途上

1999年12月1日(水) カトヴィックまでドライブ。

朝10時、愛車「ミクラ」で「田舎の我が家」を出てRC(王立芸術学 校)に向かう。しばしばエンジン止まる(エンジンの回転数を上げる必 要あり)、道を間違え高速に入ってしまう。出口がなく、ついにデルフ トまで行ってしまい、Uターン。駅のまわりを一回りしてようやくRCに 着く。午前11時半〜午後1時半、1Fのカフェでジョルジオとアン コ、ミーティング。コンセプト、アイディアの背景について確認、次回 までにスクリプト作成する。(次回金曜日11AM)


ジョルジオの「トヨタ・カリーナ」に先導してもらい、Laakwegの修理 工場「LAKKER」まで行き車のエンジン調整をしてもらい、そのあとワッ セナーに通じる道まで先導してもらう。少し道がわかってきたが、まだ 標識などで読み切れないものがある。

14時半帰宅。昼食(ラーメン)を取ってから睦子とカトヴィックZee までドライブ。カトヴィクはワッセナーより大きい海辺の街、海岸に面 してホテルが立ち若者が目立つ。海沿いのパーキングに車を止め周辺散 策。海から市内に入ったところのホテルのカフェで一服。車があるとこ うした動きができるので行動範囲が広がる。

1999年12月2日(木) ライデン「出島ミュージアム」へ行く。


午前11時、ワッセナー市内へ自家用車で行く。駐車スペースが見つか らず苦労する。

郵便局へ行き滝に手紙送付。14時半、ライデン市内までドライブ。1 5時半、ライデンの博物館へ行き、「出島ミュージアム」の展示を見 る。日本の江戸期の風物、主に魚、動物、虫などの絵、標本。オランダ 人は不思議なものを集めたものだ。とても小さな小物などもあった。

18時帰宅し、食事。19時再び車でライデンに行き「ライデン劇場」 で『アンチゴーネ』を見る。「カントリー楽団」の演奏、下手な踊り、 突然に強姦されるアンチゴーネ、いかにも「オランダ派」のアナーキー な(やんちゃな)ギリシア劇であった。高校生位の若い子たちが大勢い たが動員をかけられたのだろうか。

ロンドンの永谷さんからハガキが届く。BiMaとの共同作業でかなりイラ イラしたようだ。

1999年12月3日(金)

午前10時、家を出て車でRCへ。スムーズに着く。ジョルジオと1Fの カフェでミーティング。武術の話から彼のプロジェクトの話にまで話題 は広がる。「ディレクター」はジョルジオで私は協力者だと伝える。ア ンコ加わる。あまり多くをしゃべらないが我々の会話の内容はよく理解 しているようだ。ギリシアのエヴァも加わる。やはりギリシア出身だけ あってフィロソフィーに関する話題は得意のようである。

1999年12月6日(月) デン・ハーグ、王立芸術学校(RC) へ。


SONICフェスティバルに向けた作品作りの演出を担当する。基本は 生徒自身が考えたアイデアを大切にして、あくまでそれにアドバイスす る立場に立つようにする。

午前11時、生徒のHeimirグループとミーティング、彼らの作品のコン セプトを確認する。
ビデオ画像と演技、テーマを明確に。「Lost Wax」を提案する。


12時、新たにポールのグループを受け持つ。さっそく彼らとミーティ ング。
コンセプトの確認をする。大航海時代の船内、船乗りの「儀式」を題材 とする。テーマをはっきり持つよう指示する。「儀式」は黒くペインテ ィング(黒人化=奴隷化)する遊びでカリカチュアし、大航海時代は新 たな問題(現在のマルチカルチュアと文化闘争)の始まりでもあること を指摘する。ヨーロッパ人の視点の他に多様な歴史へのまなざしが存在 することを織り込ませる。


13時、ジョルジオのグループとミーティング。2時からカフェテリア で雑談、明日から稽古を始めるよう指示、基本的な動き→彼の言う「無 心」へのアプローチを自分で考えてくるように指示。考えてきた案に対 してコメントすることにする。


17時帰宅。

18時から21時まで大家のブルートさん宅、ブルートさんの奥さんも 加わって雑談。ヨーロッパでの「宗教対立」(歴史的な)の問題に関し て。

この問題は今も内在している。みな、口に出さない、出せば争いになる し、彼らは宗教対立、宗教戦争で長い間、苦難の歴史を経験してきた。 だからみな「寛容」を口にする。しかし、実際には妥協出来ない(信仰 の問題は)。だから宗派ごとに学校があり、宗派ごとにコミュニティー があり、その相互は殆ど関わりを持たない。互いに関知し合わない(無 視する)ことで一緒にやっていくことが出来る。だから内面は外には出 さない。外に出すのは「公的」な私であり、それは内面(「私」)とは 別の顔である。それが彼らの異民族(たとえば私)に対する「よそよそ しさ」に見えてくる。むろん、生徒たちは「表現」という共通の土俵が 設定できるので、こういう壁はないし、また若い時は信仰心はあまり強 くはない(日本もそうだが、若者が歳を取っていくとだんだん宗教に依 存し始める。死が近づくと誰しもその先が無、とは思いたくないのだろ う)。仏教や神道があっても、多神教でしかも教義もキリスト教に比べ てゆるゆる、そういう日本とここ(ヨーロッパ)は根本的に宗教に対す るスタンスが違うと感じた。

1999年12月4日(土) 車でレーワルデルまで約500kmの遠 出。
 
車を試すため遠出、ハーレムまで高速で行き、そこから一般道N203 でアルクメールに。さらに北上レデンヘルダーに出、大堤防手前の 「Den Oever」で昼食。

午後12時半大堤防渡る。全長30km。2時レーワルデル着(マタハリ の生家あり)。15時半、大堤防の最終地点のカフェに入る。午後6時 帰宅。約500km、車を飛ばす。750ccなので、向かい風と坂道(と いってもたいした傾斜ではないが)がきついが、あとは快調、低速運転 の際やや振動する。

北部フリースラント州は言語も違うということで、少し楽しみにしたが 風景はどこまで行っても同じ。変化に乏しい。

1999年12月5日(日) ロッテルダム、クンストハウス、「イス ラエル展」

13時、自宅出発。14時半、ロッテルダム、ユーロポートに。3時半 ロッテルダムのミュージアム公園着、4時クンストミュージアムに入 る。「イスラエル展(印象派)」と「中国エロチック展」を見て、午後 5時クンスト1Fのカフェに。「中国エロチック展」といい(作家名が 載っていなかったので、たぶん収集好きのオランダ人が安く買いあさっ てきたのだろう)、ライデンの「標本博物館」といい、どうやらオラン ダ人は「ゲテモノ好き(taste for odd things)」のようだ。

19時帰宅。

1999年12月7日(火)


15時、家を出てハーグへ向かう。中古の愛車「ミクラ」を購入した 「ガレージ」に行くが、「明日来てくれ」とのこと。

16時RCへ。車を置いてデン・ハーグ市内を歩く。書店で英文の 『Arts Dictionary』と『The Greek Myths』を購入する。

18時、RCでジョルジオと(15分遅れてくる)待ち合わせ。RAへ移動 し、稽古(アンコ加わる)に入る。

彼のプランを聞いて、その上でウォーミングアップ、二人一組で位置の 移動によるリレーション。その後、声のリレーション、正座対面で。特 に「目の位置」に注意を与える。

1999年12月8日(水)
 
午後12時15分、車でハーグへ向かう。「ガレージ」に立ち寄り、右 側のサイドミラーをつける。

14時、RCのカフェテリアで昼食を二人で取る(7fl)。14時半、RA (王立美術アカデミー)へ。ポール・グループとミーティング、演技場 面に関して提案する。その後RCへ戻り、カフェテリアでジョルジオとミ ーティング、スクリプト英文と詩の一部受け取る。午後6時半帰宅。

1999年12月9日(木)

午後12時、ワッセナー市内へ。中華料理店で昼食(フライドライス l)、スーパーで買い物をし、午後2時帰宅。

その後、車でデン・ハーグまで行くが、待ち合わせ時間を間違う。17 時、再び車でハーグに行き、RAでジョルジオの稽古をする。主に詩の朗 読、音に留意して行う。感情を作らず、もっとクールかつパワーを失わ ず、と言う風にする。

帰宅21時半。

1999年12月10日(金)

午後12時、「ハーグ外事警察」へ行く。初めてデン・ハーグ市内中心 部をドライブする。

14時、「すずらん」近くの駐車場に車を置き(1h/4fl)、「すず らん」でランチを取る。巻きずし19fl。中華食料店で「日の出」なる 「すし用米」(10kg/30fl)を購入し、帰宅。

1999年12月11日(土) 雨、ロッテルダム。

ポール・グループの稽古をロッテルダムで行うというので、ハーグまで 車で行き、午前10時、彼らとハーグ駅で待ち合わせる。

ポール、ロジャー、クルトらと列車でロッテルダムへ移動。駅前から5 分位のバーを借りて稽古。ヤニフ(いかにもユダヤ人といった褐色肌、 黒い長髪の音楽青年)、しきりに日本の伝統文化の事を尋ねてくる。昨 年、RCで参加した私のワークショップに強く惹かれたとのことだ。ロジ ャーも同様にワークショップに惹かれたと話していた。しばらく彼らの 「演奏」を見ている。そのあとスクリプトについて「トレードシーン (交易の場面)」を挿入するとのことだが、わかりづらくなるし、意味 もないと意見する。

14時、ポールらと昼食。

1999年12月12日(日) 曇り アムステルフェーン、西出さん 展示会へ。

午後12時すぎに家を出て、車で初めてアムステルダムへ行ってみる。

アムステルフェーンで高速を降り、しばらく周囲をさまよい、やっとブ ランドヴァイク通りの西出さん宅を見つける。「うるし工房作品展」を 見にきた、というより、とりあえずアムス在住の日本人とコンタクトを はかるため訪問。

そこで、M.N さん、そして偶然居合せたアムスに大阪万博の頃から住 んでいるという大阪出身のデザイナーS.W氏と出会う。氏は62歳との こと。しばらく4人で語り合う。気づくと夕方になっていた。綿野氏か らオランダ人の特性についていろいろ伺う。とっつきにくいが、一度打 ち解けるとつきあいは長く続く、日本人のように、はじめは人あたりが よいが、その場限りの付き合いに終わる、というのとは全く逆とのこと だ。少しずつオランダ人を理解しつつある。確かに'ヤマ'スーパーの女 主人が言っていたように、初めの1年は苦労するが、'あとは楽よ'とい うのがだんだんわかってくる。

TVでメル・ギブソンのおそらく『ブレイク・ハート』を見る。日本でヒ ットしているらしい。14世紀のスコットランド、イングランドの侵略と 圧政に立ち上がる不屈の男を描いた映画。イングランドの王子に嫁いだ フランス?の王女をイザベル・アジャーニが演じている。のちに二人は 愛し合うが、メル・ギブソン演じるワァーレンはイングランド軍に捕ま り惨殺される。

もう一つ、イギリスの戦争映画を見た。1942年のパターン半島。 「侵略する」日本軍と闘うイギリスの「勇敢な小隊」の話。一人また一 人と犠牲になり、最後に小隊長も多数の日本軍に立ち向かって「侵略」 の犠牲に。クレジットが出て、「彼らの勇気ある行動と犠牲は、のちに ミッドウェー、ノルマンジー、オキンワの勝利につながってゆく」 云々。おそらくこうした日本に入ってこなかった第二次世界大戦映画 が、その中で登場人物が語る「だまし討ちのジャップ」という何気なく 何度も口にされる言葉の力によって、欧米人に「パールハーヴァーでだ まし討ちした日本人」という風に一般人に定着していったのだろう。日 本ではあまり認識されてないが、欧米人の心の底には「だまし討ちした ずるがしこい日本人」というイメージは確実にある。


ワッセナーの大家さんの何気ない質問にあった――「何故、宣戦布告せ ず真珠湾を攻撃したのか…故に。一方的に日本が悪い」という定説―― ともつながっているのだと思う。

1999年12月13日(月) ハーグ、RC
 
朝9時に家を出て、RAへ。ここのところ10時に遅れて顔を出している ので、久しぶりに定刻前に行ってみる。無論誰も来ていない。ガランと したRAの4階の広い教室の椅子に座り、皆が来るのをぼんやりと待 つ。こうした時間は好きだ。30分遅れて制作の人が来る。ポール・グ ループの人としばらく話す。オランダの学区制についてたずねる、かな り柔軟で合理的かつ機能的な制度になっている。彼とその後、再び「第 二次大戦」の話をする。明治維新では日本の選択は二つに一つしかなか った、植民地になるか列強の一角になるか。「第二次大戦」はその結果 にすぎないし、韓国植民地化もその一環だ。日本の「悲劇」は一人日本 の責任に帰するという単純なものではなく、世界史の、特に近代500年 の結果の一つなのだ。また、拡張を続けたロシアの存在、脅威がつねに 大きく作用していた。韓国植民地化も満州国建国も北東中国への'侵略' もロシア抜きには考えられない。地政的な要因が日本の運命を決定づけ ている。

ヘイミールのグループはDVの取り扱いで壁にぶつかったようだ。DV で撮影したはいいが、それを編集するコンピューターがない、一つ壁に ぶつかるとこちらの連中は全てストップしてしまうようだ。他に解決法 を見つければよいのに、そのことで釘付けになってしまう「不器用」な 人たちなのだと思う。
 
ジョルジオのコンセプトを、午後12時すぎにあらわれたフランス・エ ヴァースに見せる。話の広がりが大きすぎて、私同様、フランスもとま どったようだ。勿論パフォーマンスは一点に絞り込む、という打ち合わ せをジョルジオとすでに交わしていたので、そのことを確認しフランス も安心、'ギリシア人'は考えることが壮大だ。ポールのグループは明日 は'かご'作り、それができてから実際に○○が中に入って稽古を進める 段取りにする。フランスはRCに戻り担当する3グループとの打ち合わ せも済み、これまで行われていた教師陣と生徒各グループのミーティン グも今日は行われていないので(主に制作面の話をしていたようだ)午 後3時に帰宅。

帰る前に久しぶりにアリアーヌが顔を出したので、昨年のワーウショッ プの写真を見せる。彼女は私のワークショップを本当に気に入ったよう だ。綿野氏の解説通り、こちらの人間は無愛想だが、これだと思うとと ことん付き合える人たちだと思う。これまでの2ヶ月苦労したが、ここ を選んだのは正解だったように思えてきている。頑固だがこれだと思う と一筋…という人間の方が、「お調子もの」よりはるかに信じられる。 アリアーヌはアムステルダムの舞踊学校の責任者を紹介してくれると言 ってくれた。そのあと教師のポールもやってきた。

「ヒマラヤ杉に降る雪」(英文)購入。

1999年12月14日(火) 午前、雪。

15時、ワッセナー市内、PostとAMRO B/Kに。カフェに入り、スーパー で買い物、17時帰宅。ハーグの外事警察から滞在許可に関する通知届 く。2000年2月3日出頭とのこと。

1999年12月18日(土) 晴れ時々曇り、カトヴィックへ行く。
 
今日は風がない。オランダにしてはめずらしい。14時、ワッセナー市 内へ行き、商店街をブラブラ歩き、クリスマスカードをさがす。16時 頃、カトヴィックへ。北海に面したゼーパビリオンというカフェを見つ ける。海を眺められるのでなかなか良い。夕暮れ、風がいつもに比べ強 くないので少し浜辺を歩く。夕方、「海外」の知人たちへクリスマス兼 新年のカードを書く。

1999年12月19日(日) 雪、雹(ひょう)
 
14時頃家を出てハーグへ。今日はスヘフェニンゲンより南の海岸へ行 ってみようと思う。3時頃、Rij○○○○に着く。ここもホテルが建 ち、カフェやレストランが浜辺に並ぶ、夏の海水浴場らしい。

17時頃、ハーグから帰宅途中、国際会議場近くで車のラジエーター水 があがってしまい停車する。雪が降り出し路面は凍り出しで、状況は最 悪。近くで水を仕入れ、急場をしのぐ。注意深く運転しつつ何とか帰宅 する。

今日の雪はオランダに来てから一番のものだ。しかし5mmくらいの玉に なっていて、日本の雪とは全く違う。積もらずに一日で溶けてしまう。

1999年12月20日(月) 晴れ


日中はいつもより爽やかで心地よい。

午前10時、RAでヘイミールと待ち合わせ。
ビデオはライサが持ってくる、ということだがハッキリしない。こうい うところが、手まわしが悪いというかあいまいだ。誰が責任を持つのか はっきりさせない。彼らにビデオカメラを数週間貸す際、ヘイミールに 責任を持たせたのだから、彼が返さなければならないのに、ライサの元 へ引き取りにも行ってない。「連絡したか?」と尋ねると「まだだ」と 平気の平左だ。日本大使館の品の良い女性係官が、こちらの人は絶対に 自分で責任を引き受けないようにするし、また何かあった時にも自分の せいではないと主張する、と言っていた。個人のメンタリティーがこう した無責任主体にあるから、社会や法律、裁判、規律で「責任」という ものの所在を明かにさせようとするのだろうか。

午前11時〜午後1時、RAのカフェテリアでヘイミール、アンコ、ジョ ルジオ、エヴァと会う。
エヴァが「ハラキリ」についてジョルジオに聞く。ジョルジオはブリュ ッセルで行われた剣道と居合の演武会に行って帰ってきたところ。「ハ ラキリ」――「自殺」について説明するには、欧米と日本(江戸まで) の「死」に対する文化的態度の違いに触れなければならない。これには 宗教がかかわる。キリスト教では「自殺」は罪であり卑怯者の行為だ が、武士にとっての死は根本の思想が異なる。また背景に西欧ではこの 世界での人生は死によって終わる、という考えが基本にあるが、仏教で は「不死」であり、何度も魂は生き返る。


13時29分、ハーグ発アムステルダム行きの列車に乗る。ヘイミー ル、ライサと同行。
15時半、「パラディソ」に着くが、今日は仕込みがないとのこと(今 日のタイムテーブルを誰も把握していない)。その後一人でフィルムミ ュージアム(○○公園の中)に行く。溝口健二の特集をやっている。今 日はプログラムだけを取ってニューメトロポリスに向かう。

17時、ニューメトロポリス館内に入る。エドヴァンらが仕込みの最 中。19時頃、ドカドカと観客らしき人々がやってくる。今日は公演日 ではないと思っていたが半分だけ観る。プレミエールのような日だった ことを知る。タイムスケジュールを誰も把握していないのに事が進んで いくのは「すごい」(笑)。
 
19時、ニューメトロポリスのパフォーマンスを観る。ビデオ、スライ ド、様々な道具を使っているが、いかにも'オランダ'らしい。ハイテク に走らず予想外の独創的な扱い方をする。「ローテク」の醍醐味を出し ている。巨大なレンズ、中身は?それが突然回転する。テレビが円形パ イプの中にはめられている。レールの上を回転しながら映像を写す。

・生徒の女の子が彫像のように白いシンプルなドレスで身動きせずに立 っている。スライド写真が体に投影される。が画像はずっと同じ(ロー プを巻き付けた同一人物)。独創性はこのあとくる。スライドレンズの 前にダンボール紙で作ったような円形(中をくり抜きトレーシングペー パーを巻き付けた)の筒が揺れながら回転(しきらない)。身体に投影 された画像が揺れ、そのたびに実際の生身の体の表皮の裏が透けて現れ て出てくるような効果。「人間彫像」もゆっくり微妙に表情姿勢を変え る。
 
・透明のプラスチック容器の中に紙片(白)がたくさん入っている、生 徒がフロアーに置かれている足踏み器(知らずに観客が乗ってみるもの だと思って、はじめに自分がやってしまった)を踏むとパイプから容器 に水が送られて紙片が動く。プロジェクターの先がこれを射抜き、背景 のスクリーンに様々な模様の動きを描き出す。
 
・大きなスクリーンの中に観客が入る。360°の市内風景のポジフィ ルムのスライドが回転するプロジェクターから投射される。
 
・金属の方形パイプが置かれている、音が出る、予想外の音……。
 
・皿の上にぬめっとした液体のものがある、火山運動のように波立つ。
 
これらのパフォーマンスが順序よくメトロポリスの館内に起こり、観客 はまるで'お化け屋敷'の中にいるように、これらの意表を突くパフォー マンスを見物する。
 

このあと観客たちに同行することにする。ボートに乗り、夜のアムスの 運河に繰り出す。今まで見たことのない別のアムステルダムの表情が目 の前にパノラマのように写し出される。大きな帆船竜骨が夜の運河で威 容を誇る。昔、ここからこれらの船が、長い危険な航海に旅だったの だ。その奥にひっそりと立つ建物も美しい。
 
・我々は次なる'港'へ着く。そこは船の小さなドッグ。中に二人の男が 台上のバスタブに入っている(水はないが)、はじめ二人はそれぞれ異 様な表情(一人は酔っている。右側の長髪、白シャツ、黒パンツ、黒ネ クタイの美形は苦みばしった顔付き)でいる。左側の酔ったような男、 はじめはアクターには見えず、また彼のスピーチもアクターが話してい るようには聞こえなかった。(これは高度な演技テクニックだ)どうや ら右の男を罰しようと言っているらしい。二人はパイロットでどこかか ら飛び立った。アンコの説明ではおそらくモンテベルディの時代から飛 び立ったのか…。紫のキャベツを取り出し包丁で傷つけたり、えぐった りしながら右の男の罰し方を話す。モンテベルディの曲がピアノの原型 のような古風な鍵盤楽器(ミニピアノのよう、音はオルガンに似てい る)から生演奏される。左側の男はバスタブから出て、右の男のバスタ ブの横に座り、テノールで歌い出す、右の男も歌い出す。16世紀のミ サ曲風、モンテベルディによるものであろう(イタリア語)。最後、調 理された左側の男が野菜の破片の中に身を置き、古風なピアノ演奏にの って歌い出す…。男たちの背景には本物の船(小型だが)が置かれてい た。左側の男の演技はなかなかのもの、彼はテレビにもよく出る有名な 俳優とのことだ(シアターグループ・ホランディア)。
 
第2「観客」グループと入れ替わりに我々は再びボートに乗る。しばら く進んで楯の手前、岸辺に白いドレスの女性が超ロングドレスで立って いる。ライトが闇の中に二人を照らし出し、船上から眺める夜景がこと さら神秘的になる。彼女らは船乗りの前に立ちはだかるシーレーン?の ようだ。
 
その後、ボートは再びニューメトロポリスの前を通過し、アムステルダ ム駅近くに止まる。観客がボートを降りると'叫び声'がする。'泣く塔' からだ。'野次馬'も加わって通りから観客たちが音波の方を眺める、' 泣き声'は音楽に変わり、塔の屋上に男が立ち、アコーディオンを弾き ながら歌う。
 
彼の歌が終わると人々はとなりのセント・ニコラウス教会の中へ案内さ れる。(21時ころ頃)西欧の教会の中は本当に'荘厳'の一言につき る。弦楽器(二人の楽器はずいぶん古風で、見たこともないものであっ た。ベースが一人)の演奏(やはりモンテベルディか)にのってロング ヘアーの女性が歌う(彼女もプロのオペラ歌手なのだろう)。続いてシ アターグループ・ホランディアの女優さんによる語り。彼女は何事かを 語りかけ、延々と話続ける、30分程続いたが飽きることはなかった。 なかなかの演技である。アンコによるなら、どうやら彼女は死について 語っているようだ、それもリアリスチックな多くの死に直面した人々の 畏れ、哀しみ、悲惨、不幸について。アリアーヌが'天使'になって宙を 飛ぶ?女優の語りの間彼女は宙に浮かび(クレーンを使用)やがてシン プルなメロディーで歌う(歌詞はない)。
 
――まだ先はあるようだが、ここで彼らと別れ、ワッセナーへ戻る(2 1時半)。家に着いたのは夜の23時半。

1999年12月21日(火) くもり
 
13時25分のワッセナー発ライデン行きバスに乗りハーグで乗りかえ てアムステルダムへ。

車を購入して以来、昨日今日と久しぶりの列車だ。アムスまでの時間、 列車内でノートを記す。こういう時間の過ごし方は好きだ。昨日もそう だったが、アムスの空気を爽やかに感じる。街ゆく人にも10、11月 頃とは違った印象を持つ。以前よりオランダをもう少し深く理解してき たからか、人々に対して'排他的'な気持ちは和らぐ。

15時、パラディソに着く。2Fカフェテリアでエヴァースらがミーテ ィングの最中。その後パラディソ内で彼らの仕込みの様子をビデオに記 録。本当に今日、本番があるのかと思う程緊張感がなく、生徒たちも気 楽に準備している。あせった感じは全くない。20時くらいになっても まだ本当に今日パフォーマンスをやる、という緊張感がない。ポール・ グループにしても悠々としたものだ。

22時過ぎ、観客がパラディソにやってくる。すでにパラディソでは他 のDJのプログラムが進行し通常のパラディソ・ファンに観客は合流。3 Fの小ホールで、まずジョルジオのパフォーマンスが始まる。今日はジ ョルジオ、少し焦り気味、音との連携も悪い。後で感想を聞かれた際そ う応えるとアンコは自覚していた。ジョルジオは自分の姿をビデオで見 て気がつき、いたく落ち込む。

ポール・グループは陽気だ。衣裳を16世紀風にし、皆すっかりその 気。音楽はイヴァンが言っていたようにあまり良くなかったが、演技は リハーサルより向上。

驚いたのはエヴァースらが'演奏'をはじめたこと。まさかそのようなこ とがある、と予想もしていなかったので仰天。しかし、なかなか大した ものだ。ポールもパーカッションで参加、テクノを背景に'アリアドー ネ'のオペラを解体、再生する試みであろう、「カッコよかった」。     
 
彼らの演奏が終了したのは午前2時過ぎ。ジョルジオの運転してきたバ ンのレンタカーにアンコら8人と共に乗り、ワッセナーまで送ってもら う。帰宅は午前4時になった。

1999年12月22日(水) 雨
 
午後、車でアムステルダムに向かう。アムステルダム市内を走るのは初 めて。少し緊張。車の調子がよくないので余計神経を使う。リングに入 り、西回りに入ってから二つ目の出口を出る、明治屋をめざすがABB Aホテルに出てしまった。パラディソ近くのパーキングに車を入れて5 時頃パラディソに行くとエヴァースが入り口に一人で座っていた。皆は 10時頃に来るそうだ。今日はもう一度ボートに乗り、観客とともに ツアー≠してみることにする。
 
18時40分発のボートにアムス中央駅で乗る。雨が降り非常に寒い。 まずバンジージャンプ、意味はよくわからないが、まぁダイナミック。 残念なのは雨のためボートが窓を開けにくい(寒さもあって)のと、ボ ートのガラスが曇っていて夜景が良く見えないこと。そのあとボートは ニューメトロポリスに着く。1階で'弁当'の入ったナップザックをもら い最上階へ。エドヴァンの指揮するパフォーマンス。再びボートに乗り 「レスキュー隊博物館」の芝居を観る。以下は20日と同じプログラム。

22時すぎ、ボートは運河をゆっくりと移動し、パラディソに着く。ジ ョルジオのパフォーマンスを見逃してしまう。昨日より良かったとのこ と。インドから来たアディルから声をかけられ、2階でジョルジオも交 えて歓談。ジョルジオから「何故演劇をやっているのか」という質問が 来る。これは個人レベルの問題。私は、何らかの表現方法を探し、たま たま演劇に行きついた、がそれは「カテゴライズ」された演劇ではな い。自分にとっての表現と一体のものであり、人生の意味と不可分のも のと答える。

ポール・グループのパフォーマンス(3階小ホール)とエヴァースらの 演奏を聞いてから、午前2時すぎパラディソを出て、「愛車」ミクラで ワッセナーに帰る。

1999年12月23日(木)

17時前にワッセナーを出て一人でアムステルダムへ向かう。

外からバンジージャンプとドッグのパフォーマンスを見ようと会場へ車 で直行。バンジージャンプは丁度終わったあとだった。18時40分の ボートは2便であったことを知る。タイムスケジュールをきちんと把握 していない(誰に聞いても知らないとのことで)ため見逃す。ドッグの 方へ向かってみる。思ったよりすんなり場所を見つける。丁度これから 2日目を始めるところだった。

「Koning William Werf」となっているが、何をやっているか不明。尋 ねてみるが定義したくないらしい。抽象的なイメージのひらめき、でや ってみたかったと、メンバーの女の子は語る。アディルもこのプロジェ クトにかかわっているようだが、何をしたのかは不明。
 
このあとパラディソに行く。今日はパラディソのプログラムはなく、R Cプログラムのみらしい。ホールにいつもの客はいない。ポール・グル ープの楽器が舞台にあり、彼らが準備している。ジョルジョは門の外で '集中'。昨日までのパフォーマンスが思ったように行かなかったのか今 日は事前の「態勢作り」に真剣に取り組んでいる。



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