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劇現場の視座から
1983年(28歳)の論考

本文は月刊誌『新劇』1983年9月号の特集「劇現場の視座から」
へ寄せた原稿である。

演戯というものが、様々な方法論的契機にもとづき、役者の身体にはりつい た抑圧や疎外を反転させながら、そこにおのれのおのれたる根拠を開示させ てゆ<行為であるとするなら演戯を契機により個別性を深めた自己が、この 個別性と対立的に構造化された台本という装置との矛盾、相克の中で現実と 対峙しうる<もう一つの現実>の場としての舞台を成立させるという方法を 我々は志向している。

現実が役者の身体、肉体に対する一つの抑圧装置であるとするなら、台本は 更にもう一つ一の抑圧装置である。こうして二重の疎外を全存在的に引き受 けながら役者は、様々に<私>を<私>として許容する日常的関係構造から 引き剥がされ、おのれがおのれであることの個別性/孤立性を深めながら、 その果てに世界と出くわしてゆく構造を、概ねこれまで我々が上演して来た 『風の匂い』連作では採用してきた。演戯と台本の異資レペルでの二重の疎 外構造、そして対立、矛盾の中で、ある表現を成り立たしめ、そのことで< もう一つの現実>の場としての舞台から日常生活を異化してゆくとき、演劇 はおのずと演劇の枠をはずしてゆくと考えたのである。

このことは私達の集団論とも通底する。すなわち集団自体がつねにかかえる 個別性相互の差異から生じる対立、矛盾をより本質的なものととらえ、どれ だけ表現のレベルヘ転化できるか。つまり、ある表現を成り立たしめるため のエネルギーを生み出す<仕掛けとしての集団>を組織しよう試みたのだ。 極むれば個であるものが、集団を組むという対立、矛盾をいかに表現に転化 できるかというギリギリのところで自己の演劇集団を成り立たしめようと考 えてきたわけである。


では試行錯誤ながらもこれら、演戯、台本、集団レベルでの方法論はどこヘ 向けられているのか?たとえぱ、別役実は『プラスチック・フアンタジー』 と題する一文で、《ベケットが「世界が構造的でないのなら、対応する自分 自身も構造的であり得ない」と考えたの対して、野田秀樹は「世界が構造的 でないのは明らかなのだから、演劇も構造的であるかに見えるのはおかし い」と考えたのである≫と述ぺている。たしかにいま我々を取リ巻<この世 界を構造的に捉えることは非常に困難である。我々の解釈の可能性をはるか に逸脱した地平にこの世界は多くの混迷と混乱をかかえて異立しているとも 言える。《この種の感じとり方は、野田秀樹ほど明確ではないにしても、現 在の若い演劇人の多くに共通する感覚である≫と別役が指示する通り、野田 とほぼ同じ年代にあたる私にしても、こうした感じ方はわからなくはない。 たとえぱ、ベトナム戦争終結後の中越戦争は一体何なのか。日本における新 左翼同志の激しい殺戮に及ぶ内ゲバをどうとらえたらいいのか。少なくとも 六〇年代演劇を圧倒的に支持してきた全共闘世代の観客、演劇人がたとえ幻 想であったにせよ、かた<なにもちえた国家権力との相克を契機に生じた共 通の認識基盤に立つ世界観は、我々が演劇をはじめた頃にはもはや存在して いなかった。だからと言って私は《世界が構造的でないのは明らかなのだか ら》という立場を容認はできない。


もし我々が演劇にあえて何かを期待するとするなら、むしろ≪世界がこれだ け構造を喪失したかに見えるのだから、演劇によって逆に構造を構築してゆ く≫ことの方がよリエキサイテイングに思える。総体としての世界ではな く、より個別的、よりミクロな地点から世界を構造化しようとしたのが六〇 年代演劇の志ではなかったのか。別役の言説に異和を抱きつつ我々は《世界 をトータルにではないかもしれないが、個別に、ローカルに、構造化するで あろう≫方向へむけ、自己の方法をとぎすまして行こうと考えている。


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