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演戯修業に関して


註釈:本文は1979年、24歳の時に「演戯稽古場」(現演劇ワークショップ)を スタートさせるにあたっての募集パンフレットのため、動機、モチベーションについ て一種の活動宣言として記述したものです。1970年代という時期と20代前半と いう若さも念頭にお読みください。今なら、もう少し書き換えるでしょうが、そのま ま掲載します。自分自身が変わったのではなく、劇場と世界の風景が大きく変化し た、ということが「修正」の必要の素因です。
「近代演劇」は結局、未完成のまま、不完全なまま、残骸化した状態で、今も「健 在」、それが現在の問題かと思います。今後は、その点を論理展開、批評したいと考 えています。

ーはじめにー

真の意味でのリアリズムとは一体何か?本来、リアリズムの求めるものとは 現実と現実を生きている自分との本質的な関係を希求し、事物の本源的な姿 へと近づくことではなかっただろうか?

リアリズムを自己の理念的基盤とする日本近代演劇ほどこの言葉の本来の意 味から遠く、自ら貶めている存在もあるまい。

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近代演劇の理念的基盤としての自然主義リアリズムを取り上げてみよう。こ れは十九世紀ヨーロッパにおける、産業革命を経た市民ブルジョアジーの台 頭とともに生まれた概念である。

例えぱ一八四八年フランス二月革命。この時『人形の家』の作者で近代演劇 の祖でもあるイプセンは二十才の青年であった。革命の経験はこのノルウェ ー出身の若者の人間形成の核となり、彼はこの革命に民衆の自由と解放への 力強いエネルギーを感じ取るのである。人間は自ら自我を乗り越え、自己の 主体を形成することへ向けて成長しつづける存在である、と。

しかし中世の終焉と近代の始まりによるプルジョワ市民主義は、早くも十九 世紀後半のヨーロッパにおいて深刻な行き詰まりに直面していた。

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同じ頃我が国では、明治維新による封建幕府の打倒が敢行される。しかし、 そこで明治新政府がかかえた最初の深刻な問題は、いかに日本を欧米列強資 本主義の植民地政策から守り抜くかという事であった。

こうして富国強兵、殖産興業が推進される。また欧米と対等の外交を進める 上でも西欧文化の導入による性急な近代化が必要であった。「鹿鴫館」に象 徴される文明開化の時代である。 

演劇では江戸時代から存続した歌舞伎が当時の主流であったが、この時の名 優九代目団十郎と五代目菊五郎の一時的欧化熱と、明治新政府による演劇を 通じての新政策の啓蒙が結合し、演劇改良運動(歌舞伎の近代化)が実行さ れる。しかし歌舞伎の所有していた強固な伝統性の前に、この運動は結局失 敗に終わり歌舞伎は古典化してゆくのである。こうした日本近代草創期にお ける様々の混迷を経て、日本の新しい演劇「新劇」は、伝統演劇との訣別の なか、長い歳月をかけて培われて来た伝統的手法とも断絶した地点で、全く 方法的基盤を形成する暇のないまま、西欧近代戯曲にとびつくこととなるの である。明治後半期、すでに二十世紀に入り、ヨーロッパでは近代戯曲の基 盤としての近代市民社会そのものが根底からぐらついていた頃である。

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日本の近代演劇が自己の理念として来たリアリズムであるが、しかし真に言 葉の本来の意味でのリアリズムの希求は「新劇」の内部から真摯になされる ことはなかった。彼らは西欧思想と文化の啓蒙家であると同時に演劇を無意 味に高尚化し、そこから大衆の上に舞い降りていったのである。彼らの理念 の柱とした自然主義リアリズムとは一体何か?

そもそも<自然>とは何なのだろう?

<自然>らしくとは一体どういうことなのか。

こうした、物事の概念を受け入れる際に必要である最低限の自己検証もな く、また<自然>に対する自己の心血を注いでの希求の精神もなく、それが 西欧の価値概念であるから尊いというような安易な姿勢で積極的に輸入して いったのである。

日本の近代人が輸入した自然主義の背景にはヨーロッパ社会の伝統であるキ リスト教的精神と肉体の二元論があるのだが、「西欧」の戯曲や文学の輸入 に専念するあまり、自らの風土に根ざした伝続演劇と真に深く対立すること もなかった日本近代演劇「新劇」の怠慢は絶対に看過されてはならぬ。

こうした自然主義リアリズム導入期における我が国近代演劇人の自己検証へ の怠慢と曖昧さが、現在の新劇演技術の不毛性と虚偽や、またその枝葉とし ての中小劇団の方法論の欠落を生み出す根幹となっているのである。「新 劇」が思い出したようにカブキの真似事をしたところで真に伝統と風土との 対話になるはずもなく、また風俗や流行への場当り的なれあいの「見世物」 では真の見世物にもならぬ。

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日本における近代資本主義社会の成熟期にあたる一九六〇年代後半、大学を 中心に様々な方面へ広がった叛乱の嵐と問題提起はたかだかこの十年の過程 においても風化しつつある。厳密な方法論の欠如による思い込みや惰性、自 己発散の形で「演劇」は氾濫している。しかし、だからこそ現在、物事の根 幹にじっくりと腰を据え、核心へ向けた確固たる方法意志のもと真の創造を 担う部分の成長が問われている時なのだと言える。

私らの欲するものはただに一つ。

魂の底に眠る熱きドラマの再生を真っ向うから希求し、ダイナミックで本源 的な創造のエネルギーを復権すること。エセ近代自然主義やエセリアリズム との格闘を経て、時代と風土の深部に力強く屹立する真のドラマに肉迫して ゆくことである。ドラマは万人の胸の内深くに宿っている。

<演戯>修業について

やがては死に、無に帰する人問ではあるが自らの生をよりきらめかせんと欲 する時、初めてその人間の自己の生に対する主体的な働きかけがはじまる。 死がさけられぬ人間の自然過程であるなら、ある意味での反自然的行為であ る生への働きかけは徹底した自己への格闘と乗り越えの作業を必要とし、ま たそのプロセスこそ重要なのだと言える。

ともあれ、演劇行為を我々が生きてゆくことと別の地点に対象化したり、演 戯者を作者や演出家の狭隘なテーマやイメージのための道具としてしまう傾 向により深く対決し、真に生命の躍動する時空の創造と魂の底に眠る熱きド ラマの再生を標的とする具体的修練として我々は<演戯>修業を自己に課す 者である。単に形や見ぱえに陥ち入り、心の働きの核が希簿化した地平で 「演技」という概念が一般化している現在、敢えて一線を画し、人間の存在 そのものと深く結合した地点から捉え返す意味をこめ<演戯>という言葉を 使用する。もし、現実と現実を生きている自分との本質的関係を希求し、事 物の本源的な姿へと近づくことがリアリズムの初心なら、まさに<反自然> を止揚しうるリアリズムの確立を視座とし、魂の底に眠る熱きドラマの再生 を標的とした活動の礎石として<演戯稽古場>を開き、実践的方法を希求す ることとしたい。

<演戯>修業、それは己れを解き放ち、自らの生をより強く生ききるための <闘い>の言葉である。


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