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日韓演劇交流センター主催の韓国現代戯曲ドラマリーディングが開催され
た。同センターは2000年に創設、それまで個別に行われていた日韓の演
劇交流の窓口を作ろうとのことから日本演出者協会の音頭で7つの統括団体
が集まり横断的な組織として結成されたものである。その事業の一つとして
現代韓国演劇の未紹介戯曲の翻訳と出版、同時にドラマリーディングを行う
という企画が隔年で開催され今回で4回目となる。私は国際演劇協会(ITI
日本センター)から派遣された委員として創立から関わってきた。
今日3月13日(金)のドラマリーディング、シアタートラムの客席は満
席。第一回(2001年、私も演出した)を考えると隔世の感だ。「韓国現
代戯曲集」出版も4冊目となる。日本センターがこれまで紹介した韓国の現
代戯曲は20名の劇作家の20作品。韓国でも隔年交互開催方式で日本現代
戯曲のドラマリーディングが開催され、唐さんや別役さん、坂手氏や野田氏
など日本の劇作家20名の各代表作合計20作品が並行して出版された。日
韓の演劇交流史上、初めてのことだ。日本も韓国も近代はもっぱら欧米の戯
曲が翻訳されてきた。西欧に近代のモデルがある(と思ってきた)からだ。
交流センターが出来たのが2000年、それ以降の韓国での日本の演劇上
演、日本での韓国演劇の上演はそれまでにないほど爆発的に増えた。
シンポジウムでの基調報告を行う韓国演劇の先駆者の一人金義卿(キム・ウ
ィキョン)さんの「日韓の演劇交流史」によると、金さんがかつて書いた作
品の中で、関東大震災を題材にしたものがあった。日本人の行動(うわさで
パニックになり在日朝鮮人を大量虐殺)に対して一人の懺悔する日本人を登
場させたところ、当時の観客から厳しい反発があったという。「日本人に善
人がいるはずない」、「日本人になぜ好意を持つ(親日派というレッテルを
張られて社会から抹殺される韓国の戦後史が前提にある)」。戦前の日本に
よる屈辱的な支配、植民地化、収奪、日本の起こした戦争によってもたらさ
れた苦難。突然の日本敗戦と解放独立。植民地支配の産物としての朝鮮戦争
と南北分断。20世紀韓国の苦難の多くに日本が関わっている。それを親や
祖父母から小さい頃繰り返し聞かされて育ってきた戦後世代。一方、殆ど隣
国と日本の近代の関係を知らされていない日本人。韓国(朝鮮)の心情を日
本人が知らない、ということに悔しい思いや屈辱を抱くようだ。
初日パーティーで今回最終日に作品が取り上げられる呉泰栄(オ・チヨン)
さんと同席した。呉さんの話は極めて波乱に満ちたものだ。60歳を迎える
呉さんにとって戦争は親の世代の日本の戦争(軍属や慰安婦、兵士とし
て)、朝鮮戦争、そしてベトナム戦争参戦と続いた。呉さんはベトナム戦争
時に徴兵さjれたが、三度徴兵検査前に行方をくらまし、またつかまり再教
育を受け、また逃げ出し・・をしたと言う。韓国で徴兵を拒むのはかなり勇
気がいることらしい。見つかるとその場で射殺される場合もあるという。
戦争が続いた韓国の戦中戦後史、日本人には想像できない。だから韓国の男
性俳優と競演すると驚くことがある。役で兵士や銃を扱う場面は彼らはみな
プロフェッショナルなのだ。今でも徴兵制があり、みな数年間軍隊経験をし
ている。だから「ヤワ」ではない。
『こんな歌』 作:鄭福根(チョン・ボックン)
シアタートラム・3月14日上演
一人の韓国人女性ヨンオクの過去と現在を描く作品。
死んだ夫、死んだ息子が登場し、最後には彼女も死ぬという悲劇だ。夫や息
子の死は彼女自身が導き出した結果だ。それも本人の意志と全く逆の結果と
して。それが彼女の「悲惨」を深める。
「私は時代が生み出す人間の力を超えた暴力に立ち向かう作品を書きた
い」、とチョンさんは言う。小柄で大人しそうな彼女のどこからこの強い
「闘う姿勢」が出て来るのか。彼女は、時の政権の腐敗を描く作品で上演禁
止も経験している。独裁政権や軍事政権の頃は知識層が「反体制」ゆえに監
禁されたり、闇に葬られたり、「スパイ罪」で処刑されたりもありえたの
だ。
[戯曲粗筋]
日本が植民地支配するまで名家で豊かだったヨンオクの生家。しかしヨンオ
クの両親は親日派という理由で、日本敗戦後、人民軍に殺害され、家は傾い
た。その後、結婚したヨンオクの夫はインテリ(教師)であったが、ヨンオ
クは夫の政界進出と豊かな生活を夢見る。そして政治家への夢を抱いて進歩
党に入党後、夫はスパイ容疑をかけられた。ヨンオクは夫を釈放するため警
察にだまされ、彼女の証言の結果、夫はスパイとして処刑されてしまう。
時は経ち、苦労して育てた息子が労働運動に関わるようになる。争議の最
中、息子を救うため官憲にアジトを知らせたことで今度は息子を自殺に追い
込んでしまった。
ヨンオクの記憶の中に死んだ夫と息子が現れ、20数年を隔てて死んだ出会
うはずもない二人が会話する。
非日常手法で、死んだ者たちが悲劇の主の妄想の産物として観客の現前に現
れ、その「思い」を語りだす。夢幻能の手法とも共通するドラマツルギーで
ある。現実ではありえないこういうことを可能にするのも演劇ならではの
力。ヨンオクの話は、まさに「悲劇中の悲劇」である。だからか、日本での
上演は難しいのでは、と思った。
演劇の成立の前提には観客の共感が必要である。むろん共感しにくい特殊な
こと、個的なことを扱いながら、それを最後には観客と一緒に共有する。そ
れが演劇の力でもある。初日に紹介された38歳の作家李ヘジュは「文学や
芸術は少数の考えを多くの人に広げる行為」と語っていたが、確かに一理あ
る。多くの大衆に受け入れられるミュージカルや商業的・娯楽的演劇が増
え、こういう少数者(マイノリティー)の演劇が減少しつつある、という韓
国の現状を憂えての発言だったが、日本では80年代の小劇場ブームを経験
済み、異例の経済繁栄に乗って、私自身の活動も含めて、時の権勢に異を唱
える少数派の演劇は行き場を失った。それは不健全だが、日本では「繁栄謳
歌」も過去のことになり、再び「繁栄」や「豊かさ」「進歩」「合理化」の
下で切り捨てられる弱者や少数者に目が向いている。いま、20数年前の私
の演劇などはまさに時代とぴったり合うものになっているというのも、皮肉
か。。
ヨンオクの体験した話は戦後の韓国の歴史の激しい激動と一体である。権力
の暴力の前に人間が不条理に倒されていくことへの告発。あまりに日本の戦
後の経験と違いすぎて(「アカ」のスパイ容疑で処刑されるとか、労働運
動・ストライキで警察や軍から殺される)、日本人の観客が共有・共感する
のは難しいのではないかと感じた。(*最終日の打ち上げ二次会で作家の鄭
さんの隣に席し、長時間に渡っていろいろ話を聞くことが出来た。この話も
したところ、近くに座った坂手君から6月の『ブラインドタッチ』を見てと
言われる。坂手君のことだから、日本で起きた同じようなことを取り上げた
のか)
驚いたことに韓国の上演では観客みな泣いたという。「韓国の母はみなヨン
オクですよ」、誰かが言った。たとえ個人で経験していなくとも、身近や国
のあちこちに「ヨンオク」のような女性がたくさんいる、それが韓国だ。実
際1980年代の光州事件ではいったい何人の市民や学生、若い労働者が軍
隊に殺されたか今だに正確な数字はわかっていない。1970年代に起きた
チリのアジェンデ政権への反共クーデータをはじめとした南米(だいたいは
アメリカが背後で糸を引いたと言われるーそのアメリカと軍事同盟を保ちア
メリカの軍事力の傘の下で日本は冷戦期に平和と経済繁栄を謳歌していた)
での戦後の悲劇の数々と近い「悲劇」が国民レベルで成り立つ場所、それが
韓国でもある。少なくとも1980年代後半に民主化されるまではそうだっ
た。
悲劇が共有出来る。それは国家と政治に翻弄されてきた苦難の歴史を共有す
るからだろう。大国にはさまれた20世紀の韓国は幾度も国をドイツやロシ
ア、オーストリーという周辺強国に分割されたポーランドや、冷戦下の東
欧、アメリカの裏庭として長く独裁政権下にあった南米と共通する。
20世紀初頭日本は東アジアでは強者になった。戦争での犠牲だけでなく国
内下層への犠牲を強いながら。それは岸田理生さんの作品『糸地獄』の土台
となっているものでもある(これ自体、現在の観客、特に若い観客には理解
を超えているかもしれない・・・・。近代史をちゃんと教えられていない、
という問題ゆえ。。。。。)この件は7月のテラ公演とも関わるので、もう
少し書かないとこの話の決着がつかないが時間切れ・・・。やはりいつかま
とめる。書きたいことが一杯出てきた今日この頃。長い間、自ら禁じてきた
雑誌媒体などへの寄稿や原稿書き、も再開しようか。
『統一エクスプレス』 作:呉泰栄(オ・チヨン)
シアタートラム・3月15日上演
初日に酒を飲み交わし楽しい話をした呉泰栄さんの作品の上演。
演出は東宝ミュージカル(『ラマンチャの男』の演出など数々の作品を手が
けたベテラン)で活躍された中村哮夫さん。
南北に分断された国家である韓国の人々にとって「統一」は悲願。しかし、
「夢」はいつしか形骸化する。政治的なかけひきにも利用される。大統領選
挙の際のスローガンにたびたび使われると、シラケた気分にもなる。東西ド
イツの統合後の様々な現実的問題も知っている。たとえば統合後の西ドイツ
の経済的な停滞や東ドイツの失業問題、格差問題、生活困窮者の増大、資本
主義化し、物質中心の社会になったことで精神的に病む人々の増加・・・。
現実は夢想をしばしば裏切る。
韓国の経済成長を背景とした「建前」と本音のギャップを鋭く、しかしユー
モラスに風刺し描き出した作品が『統一エクスプレス』(1999年に韓国
初演)だ。
これは物議をかもす作品(韓国では)である。たとえば、「反日」が国是の
国で、「日本人は韓国人と変わらないんだ」という内容の作品を公開するの
は勇気がいる。国民感情を敵にする可能性があるからだ。しかし、芸術や文
学には一般の大勢を占める空気に対抗する気概も必要である。大勢に便乗す
る作品(ポピュリズム)は商業的には基本だろうが、商業的な(お金にな
る)ものばかりでは大勢に流される。
たとえば、太平洋戦争に突入する前夜の日本で徴兵拒否したり、戦争反対を
唱えたり、というのは勇気のいることだ。非国民として会社にも村にも居る
ことは出来なくなる。大勢への「抵抗」を持った作品は文学であろうと民意
を敵にする場合もある。『蟹工船』の小林多喜二は昭和13年に官憲に拷問
され死んだ。他にも犠牲になった者は日本にも韓国にも大勢いた。
当時の日本は独裁国家ではなかった。そういう風に言うのは戦後のことで
(主に左翼・「進歩派」知識人の言説)、政府あるいは軍部はむしろ民意の
多数派を反映していた。「民意」を形成するものとしては新聞などのマスコ
ミの力も背景にあったし、この民意、多数派という「大勢」を形成する原動
力としてのマスコミ・メディアの力は今も変わらない。マスコミ・メディア
が取り上げないもの、少数の意見、しかし「卓見」を主張する場は限られて
いる。その一つが演劇であり、文学である。しかし、日本でも韓国でも演劇
は大戦中、「国民演劇」という形で戦争を支える文化装置として利用され、
多くの演劇人や芸術家は戦争協力をしてしまった。その真摯な反省は新劇自
らではなく、60年代後半のアングラ演劇の時代になって初めて問われるよ
うになった(これは当時の学生=団塊世代が支持した吉本隆明の「大衆の原
像」論とも関連する)。
今回、韓国の劇作家で物故された方の作品が一つ翻訳出版された。彼は戦争
中、日本の戦争に協力する形の「国民演劇」を韓国で主導した人物でもあ
る。しかしその一時期だけではなく、その前、その後、彼は優れた作品を残
し、韓国現代演劇史の発展に巨大な足跡を残し不動の位置を占めている。そ
れゆえ、今回、翻訳出版作品としても取り上げられた。
日々を生きることに懸命な人々にとって、国とか政府とか主義とかは手段に
過ぎない。人にとって本来大切な事は生活の安心、安全なのだ。生きていけ
ることが重要なことなのだ。そのために必要だから「社会」を作り、「国
家」を作り、その圏域を安全圏にするため、防衛(軍事という国家暴力)手
段を持ち、一丸となったほうが外からの脅威には強いから人々が共有しやす
い理念(たとえばナショナリズム、愛国主義)を作るのである。がそれは手
段であり、真実ではない。外部の状況が変化すれば事は違ってくる。
「日本」を振り返る
明治維新の頃の日本。周囲は牙を向いた帝国主義、植民地主義の大国、列強
ばかり。いつロシアが北海道や東北を占領するか。どういう手段でイギリス
がフランスがアメリカが日本を食い物にするかわからない。だから急いで中
央集権国家、軍事力の増強、経済構造の革新、国家に対する愛国主義という
イデオロギーが要請された。そしてばくちのような清国との戦争に踏み切っ
た。戦争当時、清国の海軍力は日本の10数倍だった。世界中で日本が勝つ
と思った国はなかった。しかし奇跡的にこの戦争に勝ち(日清戦争は朝鮮を
巡り、ロシアの脅威を前に半島を押さえるため一方的にいちかばちかで日本
が仕掛けた「博打戦争」である。清国皇帝が事情がよく把握できず本気で乗
り出す前に、日本は勝利してしまった)、結果として朝鮮、満州・中国東北
部でロシアとの権益の衝突、軋轢を激しくする。そしてロシアと戦争をやる
ことになった。きわどい戦争だったがこれもかろうじて勝った。結果として
朝鮮(韓国)植民地化のコマを手に入れた。更にロシア革命の混乱に乗じて
シベリア進出・侵略(これは失敗)、第一次大戦後の空白期、中国国内の混
乱期に乗じて満州進出・侵略、更に中国進出・侵略・・・。こうなってはも
う止まらない。踏みにじられるもの、弱い立場の気持ちはすっかりわからな
い「大勢」に作られてしまった「私」が形成される。それは「アジアを下に
見、自らを欧米に並べる」優越意識に支えられた「私」。周囲の強大な敵か
ら身を守るための様々な手段はいつのかにか目的化して行き、大破局まで止
まることがなくなってしまった。そしてアジアに対する「蔑視」の心性は戦
後も今も残っている。
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