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日本サッカー、何が問題か?

2006年6月23日
岸田理生作品連続上演2006参加、千賀ゆう子企画公演『桜の森の満開の 下』をこまばアゴラ劇場へ見に行く。千賀さんの公演はたびたび招待されて いながら、しばらく見にいけなかったのと、理生さんの作品でもあるから、 これは行くしかない。

千賀さんは体調が良くないらしく、力を抜いた演技でやっていたが、それは それで作品の人物(老婆)の演技と合っていて、以前の元気に満ちた演技よ りも存在感は増していた。

公演後、近くで打ち上げ。岸田作品連続上演のプロデューサーで理生さんと ともに歩んできたMさん、演出家のOさん、批評のNさん、若手批評家のT さんらで千賀さんが来るまで、ワールドカップの話で盛り上がり。N氏はド イツまで行ってオーストラリア戦、クロアチア戦を見てきたとかで、ショッ ク状態から今日の総括話で何とか立ち直ったとか(笑)。サッカーから海外 でのサポーターの振る舞いを含めて日本人論、日本のマスコミ論に話は発展 する。要するに、ヨーロッパ人も南米人もサッカーの楽しみ方を正しく知っ ていて、それは人生の楽しみ方に通じ、スウェーデン人やイングランド(イ ギリス)人やブラジル人や何人やらの中に混じると、一層、遊び方の知らな い日本人、が目立ってしまう。サッカー場の内でも市街でも。サッカー場に 留まらず街にまで繰り出してお祭り騒ぎの外国人サポーター、日本人は日本 でこそ道頓堀あたりで盛り上がるが、あくまで「内弁慶」、ドイツという 「むら社会」の外に一歩出た途端、大人しくリーダーの後ろをぞろぞろとつ いてゆくだけ。つまりそれは演劇や劇場の楽しみ方にまで波及している問題 である。


日本人は歴史的に頼れる人間がいるとすぐまる投げしてしまう、そういう無 責任、誰も責任を取らない共同体を作ってきた。自民党も会社や田舎の会合 もみなそうだ。それが戦争責任で、誰に責任があるのかさえ、はっきり出来 ない(構造的に出来ない状態)になった原因でもある。そして現在も同じ 「むら」的無責任共同体意識は続く。それが「むら」の外に旅に出て、鋭く 突き返されてくる。。。。富国強兵一筋で来て、それを根本に残したまま、 戦後は戦争ではなく経済戦争に転化して会社が軍隊組織、サラリーマンは兵 士でやってきた、それがいまようやくネガティブで逃避的に過ぎないが、 金、もの以外に人生の価値を見出そうという若者が出てきてフリーターの増 殖になっているが、ポジティブな方向にまで発展していない。フリーターと いいいながら全く「フリー」ではない、個性といいながら無個性、みなが同 じ思考、趣向に走り出す日本人、の根本的な非世界性、ドイツにまで応援に 行きながら、他の国のサポーターのようにサッカーと外国の街とそれらと交 流すること、そうした「旅」のあり方そのものにまでダイナミックな展開が できないでいる、ドイツでいじいじとつつましく応援して、悔しがって、他 の国のサポーターから不思議な目で見られて返ってくる日本人・・・・。全 く「日本以外」慣れしていない、人生の遊びを理解していない、旅慣れして いない、生きることの楽しみ方を知らない、それがどうして演劇を楽しめる かって。。。。今の日本人を変えるには、志ある者が持続的な努力をしてあ と100年はかかるかな。芭蕉にまではるか遠くに及ばない現代日本人、で ある。絶望的になりつつも諦めは敵、かすかな希望を持ち、やっていこ う。。。。

にしても「世界」野球でのイチローの振る舞い、今回の中田にしても自分の プレーだけやっていればよし、とはしないで、日本チーム全体を自分の集団 として引く受け、責任を持ち、背負い、その上でプレーしようという姿勢が 目立った。彼らが単身「敵地」で、「むら」社会の外で、一個人としての自 覚を強く受けざるを得ない場所で活動してきたからこそだろう。こういう 人々は、「集団無責任」「みんなで渡れば怖くない」がここちよい日本では 少数派だが、これから少しずつ出てくる、ということも期待の一つ。。。。 がんばれ日本サッカー、日本人サポーター、あと100年かかっていいから、 世界レベルに達せよ、世界に向かって走れ!!そうすれば日本も少しは変わ るかも。


合間を縫って、岸田理生さん作品の著作権を把握するMさんに、『糸地獄』 を題材にして作業をしてゆくこと、いつかそのままの上演ではなく、あくま で題材として大幅に変容させた作品を作るつもりであることを告げ、許諾し てもらう。ついでにこれは非公開だから問題はないが、一応、来週月曜日の 「実験・創造工房11」で、岸田さんの作品を下敷きにした試演作品もある ことを伝え、また継続的にワークショップで岸田作品を題材に取り上げてゆ くことも伝え許諾を得る。この「理生プロジェクト」は今回3年目で終わり らしいが、そこから我々は始めたい。「理生マテリアル」をこれから継続し てゆこうと考えている。



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