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あの世でスタニスラフスキーは
2008年1月29日 日記より
T学院授業、『贋作・罪と罰』(野田秀樹作)と『オセロー』(シェイクス ピア作)を使って、役やせりふにどうアプローチするか、をやる。この戯曲 へのアプローチの手法は基本的 にはスタニスラフスキーのアプローチに近 いかもしれないな。


教条的なスタニスラフスキー「絶対」信者に世界中あちこちでお目にかかっ た。彼らのワークショップも何度か拝見した。が、何だかかつてのマルクス 「主義者」や宗教の原理主義者みたいで、融通が効かないという雰囲気に閉 口した。彼らの発言は殆ど「信仰」に近い。だから他を絶対認めない的な態 度になってしまう。それが気に喰わなくて好きになれない場合が多かった。 リアリズムでは表現しきれないものがある、それが解っていないのだろう。 考えが狭い、というか狭量で排他的、それでいて自分が絶対正しい(何を根 拠に?と言いたい)という顔をしている。彼らの「指導」態度がまるで宗教 的で、それが何とも気持ちの悪いものであった。どおしてああなるのだろう か、そういう 「カリスマ」性が「スタ」にはあるのかもしれないが。


「スタ」だけでなく、その映画演技(自然主義リアリズム)への適用、アレ ンジである「メソード演技」のワークショップにも20代前半の頃立ち会っ たが、これも気持ちが悪かった。先生がまるで教祖していた。成果がきちん と出るならそれはそれでいいと思うが(結果が出ないメソッドはメソッドと して機能不全である)、どうもそういう兆しはなかった。

その種のワークショップが最近、日本で増えている。「自然主義」回帰的戯 曲が増えてきたのとも関係があるのか、想像力が萎えて来ている日本的現象 か。世界(日本以外)では20世紀演劇史があって、その先に進んでいるの に、日本は1900年頃に戻っている。いや、リアリズムは欧米にもある が、冷静で客観的、あくまで舞台表現の一様式に過ぎないとクールな受け取 りだ。シアトリカルな演劇(演劇的な演劇)も並置されているし、リアリズ ムの戯曲に出演した俳優が、次には思いっきり前衛的な演出舞台に立ったり している。そこが日本は島国的、というか極端から極端と言うか、どっちか こっちか式になる。白か黒か、柔軟性がない。どっちもありだよ。様式の問 題でしかないのであって、正しいとか正しくないではない(主義や教義の問 題ではない。表現スタイルの問題だ)。あとは自分の嗜好の問題である。


そんなこんなで一番迷惑しているのは当のスタニフラフスキーかもしれな い。彼の方法はある種の戯曲には向くが、全てには当てはまらない。そうい う前提で、かつ完成されたものではない(特に彼の後半生の課題、身体と心 理の切り離せない有機的な結合に関して)という認識の上でなら、オーソド ックスな、あるいは基本的な戯曲へのアプローチに関しては、特にこういう 授業で活用するのは参考になるのではないか。戯曲の各場面の登場人物の行 動の理解、戯曲全体の目標としているものから俯瞰して位置を取るなど、正 しい「スタ」的アプローチかどうか知らないが(誰がそれを判断でき る?)、そんなことはどうでもいい。彼に手ほどきを受けた弟子ではない し、本で読んでよく理解できるなあ、という部分があるという程度のもので しかないが、それでいいのだと思う。直接、スタニスラフスキーの原典を当 ってみると、思いのほかヒントや示唆に富んでいる。これを「バイブル」に しないこと、絶対化しないこと、そこさえきちんとしていれば(芸術家とし ての倫理性の問題だ)、自分を信じればいいのだ、信じられる自分を生涯か けて作っていけば、それこそ「スタ」と同じ土俵に立つことになる。どんな 方法も絶対ではない。誰にでもあてはまるわけではない。当てにしすぎては 駄目だ、それは退廃でしかない。


まあ、スタニスラフスキーのことはさておき、野田の戯曲にも「スタ」的 アプローチがあてはまる、ということに結構カンドーしている、というかな るほど言葉遊びと時空の飛躍を除けば、結構オーソドックスなドラマトゥル ギーなのかもしれない。


夜、授業の後、T学院Nゼミの卒業公演『キル』会場に駆けつけ途中からだ が見る。前期の授業に同ゼミの生徒がたくさん来ていたので楽しみにしてい た。「着る」と「切る」そして「生きる」、とコトバを懸け、「制服」と 「征服」を懸ける。これが野田風の「テーマ」というか劇作りの指針となっ ている。少人数のクラスで部活も同じ部の者が多く、一年生から同じクラス で過してきた生徒が中軸となっているから、当たり前だがアンサンブルは抜 群にいい。美しい舞台、生徒も健闘していた。残念なのはせりふが聞き取れ ないところが多かった点か。


若い観客に限定すれば、ずうっと野田が支持されてきた理由が何となくわか る舞台。若者を惹き付けるものが確かに彼の戯曲世界にも舞台の作り方にも ある。それを受けての今日の卒業公演の演出もその魅力をふんだんに発揮し ていた。シンプルな舞台セットだったが、こう いうシンプルさは好きだ。

今日の5限授業の生徒はみな授業をさぼって、卒業公演を見に来ていた (笑)。



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