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『ジュリエット/灰』のちらし絵のバックに風景写真を使いたいと言われ、
指定のイメージは「冷たいコンクリートのような」・・・。でそういう風景
はどこにあるだろうと思い、一つは湾岸千葉、京葉コンビナートの工場地帯
あたり、もう一つは川崎の湾岸地帯あたりが浮かんだ。が、そこまで行って
更に歩いて探し、写真を撮るには今日は時間がない。夕方からWSがあるの
で無理と遠出は諦め、取りあえずよく行く「庭」の原宿界隈に。しかし、ち
ょっと違うなあ。解体途中のビルとかあったが、ここに来ても「日本くさ
い」、原宿みたいな「無国籍風」を誇る場所でも、『ジュリエット/灰』の
イメージから見ると、とっても日本な んだ。
都市風景で頭から離れないのはボスニア・ヘルツゴビナのモスタールへ行っ
た時の強烈な市外風景。内戦が勃発し、市民が二つに、後に三派に分かれて
殺し合いを続けた街の無残な廃墟。爆破されたり、蜂の巣になって無数の穴
ぼこだらけになったビル、東欧特有の小型車が壁が破壊されたアパートのリ
ビングルームに挟まっていた光景は何とも奇妙で(失礼だが)ユーモラスな
雰囲気、一種のポップアートの感じさえ浮かばせていた。停戦直後の生々し
い時期に行ったせいか、殆どの建築物が壊れてしまい、修理もまったく始ま
っていない。男達は仕事もなく、昼中からストリートにぼおーと立ってい
た。すこし前までみな民兵、兵士、ごろつきとして殺し合いをしていたの
だ。そばに立っている男たちの大半は人殺しを経験した連中。目は人を殺し
た人間特有の目つきをしていた。どこか生臭いのだ。海外に何度も出かけ、
危ない連中のいる区域に何度も足を踏み入れているから、嗅覚でわかる。人
を殺したことのある奴か否か(怖)。
そんな街の人の「空気の温度」につらなる「冷たいコンクリート
の・・・」、日本ではなかなか見当たらないよなあ。『ジュリエット/灰』
はモスタールのイメージが頭にある。そこの教会の中に足を運んだ時の感触
が。ロミオとジュリエットが死んだ場所のイメージと重なっ て。。。
言葉は記号である。発信者の指示(意味した対象)とほぼ同じものを受信者
が受け取る場合からまったく別の<解釈>が入る場合まで幾つのも発信と受
信の間の<差>の階層がある。たとえば「もっと大きいもの」と言った時、
受信者個々によって「もっと大きい」大きさの度合いは異なる。そこに誤差
が生じないようにコード化(ルール)適用をより厳密にする場合、たとえば
法律用語、医学用語、学術用語など。これに対して詩の言葉は、受信者の解
釈力が大きく左右する。ある詩がある解釈能力を持った人間にはとてつもな
い魅力に満ちたものであっても別の人間にはただわけのわからない「たわご
と」、無意味なものにしか思えない、こういう極端な落差が生じる。考えて
みれば、<劇>も一種の詩のようなものである。特に受信者の能力に大きく
委ねるタイプの<劇>は、別の者には無意味、無価値かもしれない。「観
客」全員がわかるもの、ということはコード化のレベルをかなり高くしなけ
ればならない。受信者の<解釈>の余地は狭まり、発信者の発した中身の<
解読>だけがある、という具合になる。
で、「冷たいコンクリートの」も、<解釈>によってはどうとでも受け取れ
る。私が「受信」したのは、二十年近い付き合いによる<情報>の共有と、
彼女の絵を幾つも見ていて知っている、そういうもろもろの知識があり、そ
の知識の集積から推論しながら彼女が発した「冷たいコンクリートの・・」
という言葉から情報内容を推論的に<解釈>した結果である。にしても写真
を撮るのも、その被写体を探すのに時間がかかる。このテーマだと一年はか
かる?で、同時に音ネタを考え出している。幾つかイメージはあるが、他に
も同時にやることが多すぎ。
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