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ワジディさんのワークショップ見学

2009年10月29日  記

 
日本演出者協会主催による「国際演劇交流セミナー2009、カナダ特 集」、今年度のアヴィニョン演劇祭共同芸術監督を務めたワジディ・ムワマ ッドさんのワークショップ(於:芸能花伝舎)を見学する。


ワジディさんはレバノン生まれ、戦乱(内戦)を逃れてカナダに移住。2年 前はケベック州内で注目、そしてこの2年の間にカナダ全国で注目される演 劇人から一気に世界レベルの演劇人に駆け上がってきた、急上昇株。ケベッ クからはロベール・ルパージュが世界に進出したが、次のカナダ演劇界の 「巨星」ということだろう。が、41歳と言う彼は歳よりも若く青年風、2 0代にも見えるとても若々しく、しかも謙虚で真摯な姿勢の好漢だった。


「テクスト、戯曲を使わず、一緒にみなさんと何かを作り上げるんだ、とい う気持ちだけで始めたい」と切り出したワジディさんのワークショップは、 3時間休みなしのディスカッショ ン、翌日も続けて合計6時間のディスカ ッションに及ぶ異例のもの。

彼は参加者への質問から始めた。
答えをひたすら聞き、拾い上げながら、最後に「たとえばこういうことも可 能」と物語化を試みる。作家の立場からのワークショップだ。これは彼独自 の創作方法でもあるらしい。俳優たちと通常は9カ月近く、一日8時間、週 5日、ディスカッションを進めながら一本の戯曲を作り上げてゆくと言う。 こういう方法で戯曲を作る作家は世界でも珍しい。

ワークショップから創作する方法はテラ・アーツ・ファクトリーも「集団創 作」スタイルで似ていることをやっている。そのため、ワジディさんの方法 はとても親密な感じがした。だが、テラ・アーツ・ファクトリーは私が25 年間、台本を書くのをやめているので、座付き作家不在ゆえそうなってい る。また、出来あがった戯曲を再現する事だけが演劇ではないという考えゆ え、既成の戯曲をそのまま上演することをしない。俳優が創作の主体とな り、作品の責任主体となって上演の場を作ってみることは如何にして可能 か、という実験を現在の中心的な探求課題にしている。

観客という立ち会い者があり、その前に俳優がいて成立する空間=「上演」 をよりシンプルに実現してみたいという欲求からそうしているのだが、ワジ ディさんは少し違うようだ。一人のあくまで作家である人が俳優たちとの共 同作業の中で書きあげてゆくというスタイルなのだ。(ここで考えたことも 多々あったので、機会があればもっと発展させてリポー トをまとめたい。 演劇にとって「作家」とは何者か?というような)。


「集団創作」は70年代後半から80年代の小劇場興隆期に、エチュードを 重ねながら舞台を作ってゆくという方法が存在していた。が、構成芝居や、 ワークショップから作品を作ってゆく場合、散漫になったり、まとまりのな いものが多く失敗することも多い。作家能力のある人間が関わって誘導した り、構成力に富んだ演出家がいる時には成功する。 難易度は極めて高いし 何年も一緒に活動する能力の高いメンバーが必要となる。もともと作家とし て高い能力を持ったワジディさんが中心となり、俳優たちが提出した素材を まとめあげてゆく、それが世界レベルで注目を集めるものにまでなっている というのは相当なものかもしれない。今回、その作業の片りんを見せていた だき、頷けるものがあった。


「世界で唯一の原爆投下国に生まれたということはみなさんにとってどうい う意味があると思いますか?」

・・・・・。

「世界で起きている内戦、紛争がなんのために起きているとみなさんは思わ れますか?」

・・・・。

「たとえばアメリカ人にとっては9.11が、あの時、自分はどこで何をし ていたという共通体験になっていますが、みなさんにはそういう共通体験が ありますか?」

・・・・・。

質問は多岐に渡った。

「日本は母系社会ですか、男系社会ですか?」、「日本にタブーはあります か?」、「舞台で今までやれなくて、でも一度やってみたかった事ってあり ますか?」

質問は周到に用意されていたようにも思えるし、同時に日本に来て浮かんだ のかな、と思わせるものもあったりした。


面白かったのは、初来日の彼が4日間、日本で過ごして一番驚愕したのは、 店に入って品物を買う時、おつりを貰う時、すごく礼儀正しいこと、とにか く礼儀正しさだと言う。西欧社会では考えられない。自分までおつりをもら う時、一緒に恐縮してしまって、妙な気分だったと。こんなに礼儀正しいの は、きっと裏に悪意か魂胆があるに違いない、とまで考 えてしまったと言 う。つまり彼が指摘したのは、この国は社会的な無意識のプレッシャーが極 端に強く個人に掛かっていて、それさえ自覚できない、それが日本という社 会に生きる人々のこころに様々な影響を与えているのではないか、というこ とだった。


正解を出さないといけない、間違っては行けないと長年習った英語さえ口に できない。こういうワークショップで質問されても、なかなか返答が出来な い。間違ったことを言わないか、変な事を言わないか、人から見ておかしい と思う事を言うのではないかと思うと尻込みする。ふだんの「プレッシャ ー」を考えると、たとえば家族からの期待がある。期待される家族、子供、 娘、息子であること。学校でも期待される。その期待がプレッシャーにな る。常に精神が緊張している状態、それは心身症を招いたり、孤立化して誰 にも相談できず一人で追い詰められて行って自殺に至ったり・・・。そうい う自殺大国、日本。

そんなテーマから作品を作る事も可能だろう。テラ・アーツ・ファクトリー の『アンチゴネー/血』はこうした孤立化と孤独、そしてその結果としての 知らない者同士の集団自殺、 という題材であった。


そんなこんなで刺激を一杯受けたワークショップであった。


終わった後、一緒にカナダから来日されていた翻訳家の吉原さんと話を交わ す。驚く事に私の学生時代に大変お世話になった田中裕介さんを知ってい た。田中さんは早大の「テレ研」でドラクエの堀井さんと一緒に新入部員の 私の面倒を見てくれ、すごく可愛がってくれた先輩、恩人。私が劇団を立ち 上げた時には、音楽を担当もしてくれた。大学卒業後、カナダに移住しジャ ーナリストになった。いまはカナダの日系社会の要になっているとのことで ある。世界のあちこち、点と点がつながっている。吉原さんとお会いして、 そ ういう奇縁がまた一つ拡がった。


世界中からカナダに流入した「難民」たちがワジディさんのように活躍し始 めた、そのことが興味深い。演劇ってのは周縁にこそ意味があり、負けたも の、弱者、虐げられた者、傷を負った者たちが活躍すべき場、なのだか ら。



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