「ノラー人形の城ー」


2007年7月
(新)テラ・アーツ・ファクトリー 第4回公演



2007年7月26日(木)
初日、無事終了。

客席が一杯になり、入りきれなくなったらどうしようかと案じた が、何とか収まる。

初日だが、ほぼ仕上がっていたため、みな落ち着いて臨めた。

イプセンの『ノラ』を作劇の題材、出発点にしているが、私たち はフェミニストではない。男だ、女だ、男が悪い、だから女が抑 圧されている、そういことを問題にしているのではない。男にと っては女が鏡、女にとっては男が鏡、そして現代の私たちにとっ て「ノラ」は鏡(他者)になる、ということ、そこから思考をス タートさせている。そこに映し出されるものをきちんと見るかい なか、見ているか否か、だが、少なくともこの舞台を見る以上、 きちんと見るかいなかの選択は分かれる。

観客後、出演者の縁故が一緒に初日打ち上げに来る。途中でわか らなくなりかけたが、最後に来てわかった。断片的な5つの別々 のシーンによる構成だから、芝居のようなお話的展開はしないゆ えに、そこはわかりにくさの原因なのだが、しかしそこがテラの 手法でもあるから仕方がない。

何がわかったかというと簡単に言えないが、とのことだが、「深 いなあ」と感じ、これはきちんと考えながら見ないとわからな い、ということはわかったし、最後のシーンでそれまでばらばら だったこと、どこに広がって行くのだろう、と案じたことが一気 に一点に絞られた、と。そうです、最後まできちんと見てさえも らえれば、どんどん「何だろう、何だろう」という関心が、そこ で一気に収斂し、それまでのシーンの位置、意味が見えてくる、 そういう演出的仕掛けをしているのです。

だから、途中で思考を放棄すれば、そこでこの舞台への興味は消 える。「鏡」の中に映し出されるものを見ようとする意思を持つ か、持たないか、そこで分かれる。そういうことをはっきり提示 している舞台である。「鏡」は観客のこころの中に方位を向けて いる。

2007年7月27日(金)
公演二日目。
今日が誕生日の佐々木君、昨日初日が誕生日だった入好さんを皆 で祝う。
19歳から付き合いだした二人もそれぞれ25歳、24歳になっ た。
メンバーの誕生日を祝う暖かいコトバに入好さん、半泣き。

今回は初の舞台監督、出演しかつスタッフの要も。「やれること は自分たちでやる」がテラ・アーツ・ファクトリーの基本姿勢だ から、大道具も女子がやります。で、その大将、どちらかという と男子の独壇場「舞台監督」もテラは女子にやってもらう。闘 え、女子軍団!慣れない仕事でストレスを抱え、そして皆で祝っ てもらった誕生日、ねぎらいの声に思わず「よよっ」、浪花節だ ね、人生は。


初日は照明、音響スタッフとの連携がいま一つだったが、この日 は演出趣旨が十分理解されていないシーンを修正、調整(明かり の光量、どこにあてるか、場展の音の余韻の長さ、ラストの音の 間合いなど微妙な部分)を直し、全体的にアップ。これは現場で 直してゆくしかないので、一番良くなるのは楽日になるか。しか し、よくついてきてくれている。普通の芝居と違って、照明は即 興的に舞台と呼吸を合わせてやらなければならない箇所が多い。 よほど感性が良くないとこれは出来ない。普通の芝居の明かり屋 さんでは無理。彼らはテクニシャン(技術家)で、段取りを決め てそれを忠実にこなす、ということだからテラのような舞台は難 しい。音響もそうである。だからそれをこなせる人材を探すのは 簡単ではない。

2007年7月29日(日)
いよいよ楽日。

暑い日が続く。よくやるなあ、こんな時に、なんて思ったりもす る。とにかく何とか楽日、知らない人間が苦手だから、公演時に 観客席にいること位、実は「拷問な私」なことはない。

出演者、役者なら観客が大勢いたほうが張り合いがある。が、観 客席に坐って他の観客と一緒に舞台を見ている演出家ほど、居心 地の悪いものはない(個人的なものだが)。だから機会を見て、 私は舞台に立つ側に行く準備を密かに進めている(笑)。

すでにやることはやったのだから、後は役者とスタッフを信頼し 任せるしかないし、本番が始まったらもう演出家は何もすること が出来ないのだから、何でいるんだろうかとか考えてしまう。い や、実は毎日、舞台は違うんだ。観客席の空気が違う。それを毎 回、感じる。その立会い者の仕事がある。

テラ・アーツ・ファクトリーが再スタートした時に比べ、ずいぶ ん客席が落ち着いてきた感じがする。何度か見た観客が多く、こ ういうタイプのものが嫌いな客は一度来て二度と来ないから、そ の分、客席も共犯的な空気が大勢を占めてきたのか。だから一 度、観客の数が減るのは悪いことではない。そこで選択があって (客からの)、次第に支持する客も増えてくる。今はまだその途 上と行った所だ。まだまだ風はきつい。が、今回の舞台の骨組み はしっかりしているし、テラにしてはこれが限界というくらいわ かりやすいから、最後まで集中をとぎらさず舞台につきあってく れれば納得が行くだろう。



初日舞台を見終わって開口一番、知人の演劇研究者曰く「今はこ んな女ばっかりだよ」。60年代世代に属し、昔から第一線で活 躍する研究者として一流の人だ。日本の60年代演劇を含めた現 代演劇史に関する書はなかなかの力作。彼の仕事は大いに認めて いるが、すぐその感想に噛み付く。「その欲求(自立)はあるけ れど、欲求を受け入れる器が社会にないでしょう、それが問題な んですよ」(おいら)。「欲求なんてないよ」(彼)、「ありま すよ。作られていると言ってもいい」・・・・・「雑誌の中身な んか誰も見てない」(彼)、「読んでようが読んでなかろうが、 情報が世の中を人を動かしている。それが人を操作している。ブ ッシュ、アメリカのやっていることがそうでしょ。アフガンだっ てイラクだって・・・情報によって人が殺されていく。それが現 在でしょ。しかもそれが見えてこない。別の情報で覆われ我々は シールドされている」(おいら)「情報が支配しているからな」 (彼)「資本主義(システム)がより複雑に巧妙に支配している からですよ。情報がそれを成立させている、それに支配されてい る。それが問題なんです。社会のシステムが人を殺している(自 殺者も含めて)。男だ、女だ、じゃないなんだ、どちらも閉じ込 められている」(おいら)・・・・・・こういう問答が小屋の外 で繰り広げられる。


一体あなたは何者?何を求めているの? と言いたくなる評論家 (ヒョーロンヤ)もどきが多すぎる。が、少なくとも彼は違って いる。それなりに敬意を持ってその仕事を見ている。だから噛み 付くし、もっともっと活躍してもらいたい、どんどん言ってもら いたいと思っている。。。。議論が始まるきっかけになれば、思 考や内省、自問のきっかけに舞台がなれば(自分自身も含め て)、それはやった意味がある。互いの価値、認識、思考を支え る根底の論理、感性を闘わせて認識を深める、そういう場を劇場 (劇の場)に求める。演劇でケンカしてゆきます。これだけ万 事、丸く治めよう、として物事が悪いほう悪いほうに行く世の 中、健全じゃない!


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