一片の土地にも無数の記憶がある。だが、土地の記憶が自己完結
的な物語を生み出すことを拒絶しようとする遊放的精神をもつ演
出家はそれほど多くはない。
アジア劇場を主宰する、林英樹は『フーレップ物語』で、北海道
の寒村につたえられた泣く木の伝説を軸に、演劇のなかに、幾つ
もの説話を持ち込んでいる。そして、村人の記憶の世界を用いる
のだ。にもかかわらずこの演出家の世界は土地の記憶から、限り
なく逃走しようとする意思を垣間見せている。
むかし、通過する機関車の下に身を横たえ、列車の圧しつけるよ
うな轟音と枕木のうねりのはざまで、身じろぎすることなく、大
地の脈動を感じることに戦慄した保線区員がいたという。彼は危
険に身をさらすことで、鉄路の彼方にある未知の世界を幻視しよ
うとしたのである。彼(滝康弘)の見た世界が、三人の保線区員
のとぼけた演技と奇妙に交錯するのが『フーレップ物語』の基本
的構造だ。しかし、この芝居で一人の保線区員の見る夢は、北方
のおとぎの国のように美しくもあり、残酷でもある。
それは鉄路の彼方に彼が幻視するユートピア、フーレップの地
が、風すらも凍えさせる土地であるばかりか、彼の前に亡霊のよ
うに登場し、「嵐の夜に木が泣いていた」と繰り返し語ろうとす
る死んだ青年が彼自身にほかならないからだ。
その青年に答えように囁きかける木の精(大塚由美子)は、青年
の恋人の転生した姿であるが、彼女の声も、途切れがちなのだ。
ただ、風の吹く日、その木は悲しそうに泣き続けたという。
この木は切り倒され、伝説は忘れ去られようとしているが、この
ささやかな伝説を舞台に甦らすことで、林英樹は、森の精たちの
妖しくも美しい、騎士物語にも似た伝説の王国の復活を歌いあげ
るのだ。その光景は都会のショーウインドウの輝きのなかで欲望
を徒に消費し続ける現代人が見失いつつある風の匂いを思い起こ
させる。
それは、木の精が語る伝説が、彼女の悲しい過去であるだけでな
く、風に伝えられる集団的な幻想だからだ。木の精は、だから、
これは私のことではない、それはたとえばの話と繰り返すのであ
る。
だから、舞台に出現する幻視された世界の出来事、そこで語られ
る声は、北方の風そのものにほかならないのだということに思い
至るとき、林英樹の物語の世界は、広大な説話の世界に観客を誘
ってくれるだろう。
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