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「フーレップ物語」劇評2
劇評1(鴻英良)  劇評3(七字英輔)

「装置は粗末で器材は限られているが
詩情に富み清新な「フーレップ物語」
村井 健(演劇批評)
週間朝日(1984.5.4)より

『風の匂い3ーフーレップ物語』
1982年初演、1983再演、1984年再々演
作・演出 林 英樹
出演 大塚由美子、滝康弘、塩原徹、斉藤秀夫、河南美樹雄、林英樹ほか


<詩>を感じさせてくれるような舞台に出会いたい。ときにはそ う思う。しかしそんな舞台に出会うことはめったにない。少しば かり美しい舞台を見ていても、しょせんつくりものという現実意 識がつきまとう。それにつくる側もいまという時代や現実を織り 込んでしまう。つまり、双方とも自意識過剰なのだ。

ところが、アジア劇場の「フーレップ物語」(ワセダ演戯稽古場 アトリエ)は違っていた。そういう意識の過剰さからわれわれを 解放してくれるのだ。

山奥のトンネルのなかで気を失った保線区員が、その失われた意 識のなかで、一人の人物に導かれ、はるかなる開拓の地フーレッ プに至る。そこは木の精霊たちの世界、忘れられ、滅び去る者た ちの伝説に耳をかたむける世界なのだ。

そこで男は、ほかならぬ自分自身の伝説を手にしてしまう。それ は、一本の木のそばで死んだ男、汽笛の音を聞いては木が泣いて いるといっていた男の物語であった。

作・演出の林英樹は、この舞台を実にシンプルに描いてみせた。 トンネルという密室のなかで、夢と現実を交錯させながら、夢が 現実を凌駕し、やがてその夢が、実はわれわれ観客すべての心の 内深くに沈められている物語でもあることを思い起こさせてくれ たのだ。

粗末な装置、限られた器材という悪条件のなかで、あくまでも役 者の身体と演技によって物語るという姿勢。しかも、それが開か れた感覚となって観客をつつみこむ手腕には、見事なものがあ る。思わず、宮沢賢治の詩に初めて触れたときのような清新なお ののきを感じた。     


劇評1(鴻英良)  劇評3(七字英輔)

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