<詩>を感じさせてくれるような舞台に出会いたい。ときにはそ
う思う。しかしそんな舞台に出会うことはめったにない。少しば
かり美しい舞台を見ていても、しょせんつくりものという現実意
識がつきまとう。それにつくる側もいまという時代や現実を織り
込んでしまう。つまり、双方とも自意識過剰なのだ。
ところが、アジア劇場の「フーレップ物語」(ワセダ演戯稽古場
アトリエ)は違っていた。そういう意識の過剰さからわれわれを
解放してくれるのだ。
山奥のトンネルのなかで気を失った保線区員が、その失われた意
識のなかで、一人の人物に導かれ、はるかなる開拓の地フーレッ
プに至る。そこは木の精霊たちの世界、忘れられ、滅び去る者た
ちの伝説に耳をかたむける世界なのだ。
そこで男は、ほかならぬ自分自身の伝説を手にしてしまう。それ
は、一本の木のそばで死んだ男、汽笛の音を聞いては木が泣いて
いるといっていた男の物語であった。
作・演出の林英樹は、この舞台を実にシンプルに描いてみせた。
トンネルという密室のなかで、夢と現実を交錯させながら、夢が
現実を凌駕し、やがてその夢が、実はわれわれ観客すべての心の
内深くに沈められている物語でもあることを思い起こさせてくれ
たのだ。
粗末な装置、限られた器材という悪条件のなかで、あくまでも役
者の身体と演技によって物語るという姿勢。しかも、それが開か
れた感覚となって観客をつつみこむ手腕には、見事なものがあ
る。思わず、宮沢賢治の詩に初めて触れたときのような清新なお
ののきを感じた。
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