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「フーレップ物語」劇評3
劇評1(鴻英良)  劇評2(村井健)

〈物=語り〉の方へ
七字英輔(演劇批評)
シアターマガジン アンビバレント(1985.5)

『風の匂い3ーフーレップ物語』
1982年初演、1983再演、1984年再々演
作・演出 林 英樹
出演 大塚由美子、滝康弘、塩原徹、斉藤秀夫、河南美樹雄、林英樹ほか


日本語で言う「物語」が"霊"を指すことはよく知られている。す なわち「物語」とは、超自然の存在が語りかける言葉が"物語"な のであり、人はその物語を媒介者である人の口を通して聞いたの だ。それは例えば一族の出自の話であったり、共同体(村落)内 における過去の事蹟であったりしたろう。

林英樹の連作<風の匂い>シリーズは、そうした原・物語とでも いったものを想起させる。そこではきまって物語は風が運んでく るもだからだ(『フーレップ物語』においては楡の木の精が語り かける)。滝康弘扮する主人公ーー保線区員であったり、炭鉱労 働者であったり、あるいは出稼ぎの石油プラント建設労働者だっ たりするのだがーーは、風や木の精といった超自然の声に耳を傾 けることによって物語世界の中に引き込まれる。ちょうどミヒャ エル・エデンの『はてしない物語』で、少年セバスチアンがあか がね色の本の中に吸い込まれてしまうように。

中略

しかし、風の声によって呼び起こされる夢想が、まさに集団によ る「語り」として出現してくるところに、僕はやはり並々ならぬ もを感じてしまう。フーレップでも、シェラザードでも、ジャン ヌ・ダルクでも「語り」の内容などはいくらでも代替可能なのか も知れない。要は、風(風にそよぐ樹でも)が語る言葉が<物= 語り>を喚起するという、その劇構造がいかにも今日的な物語論 たりえているということを指摘したいのだ。


劇評1(鴻英良)  劇評2(村井健)

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